意地悪な彼の溺愛パラドックス
私はこういうときだけ力強い彼の手の甲をギリッとつねり、怯んだ隙にみぞおちをくらわせた。
「うおっ!? 本当に凶暴な奴だな」
解放されて大きくひと呼吸するとともに、自分のあらぬ格好に赤面する。
「ほんとに、やだっ! 猛烈に恥ずかしい」
「恥ずかしい顔がたまらないんだよ」
「そんなの知りません! 誰か来たらどうするんですか!」
「俺は臨機応変にやり過ごせるから問題ない」
「私はムリですよっ。意地悪なことしないでください」
「嫌がることをするのが好きなんだ」
真顔で言う奴はドSか。
ずり落ちたストラップを肩に戻し「とにかく出てって!」と、一発蹴りを入れた。
それから一目散に制服に着替えをして、仏頂面で更衣室を出る。
再び私の顔を見た彼は、悪びれもせず「髪ばっかりで不満そうだったから」と唇を尖らせた。
私こそ唇を尖らせて、くるくるとまとめたうしろ髪をシンプルなバンスクリップでガッシリ留め、今日のスタイルを作る。
鍵やポーチを身につけて鏡で身なりを整えたら、勤務開始五分前。
勤務カードをタイムレコーダーに通して、ピッと鳴った電子音が私の心を引き締めた。
「さぁ、仕事しますよ」
ほかのスタッフには出勤時に、事務所でマネージャーと打ち合わせがあることを伝えたから、このまま仕事に入ることができる。
普段は机と棚の隙間に立てかけてあるパイプ椅子を運び出してきて、彼が座るオフィスチェアの隣に腰を下ろすと、不満そうにおふざけをやめて人差し指を襟もとにかけた。
堅苦しいのは苦手なのだろうか。
いつものようにネクタイを少し緩めてワイシャツのボタンを開ける彼の仕草が好きで、こっそり眺めていると「あっ」となにかに気づき、私に手を伸ばしてくる。
なんだかんだ言っても、拭いきれない下心はありドキリとして静止。
すると、私のワイシャツの襟を彼の長い指先がたどり、突然パチンとリボンタイをはずされてしまった。
「え、えっ?」
動揺を隠すこともできずに、指先の行く手に身体を強ばらせ彼を凝視する。
ニヤリともせずただクールな視線を胸もとに突きつけられ、まさか先ほどの続きかと、仕事中なのについ甘いため息をこぼしてしまう。
「ねぇ」
「だっ、ダメです。私たえられませ……」
「ボタン」
そう言われて指差されたところに「え?」と視線を下ろすと、綺麗に一段ずつかけ違えたワイシャツの前ボタンのせいで、襟もとが片方飛び出していた。
なんて恥ずかしい。
耳まで真っ赤になりながら、私はサックスブルーに映える真っ青の小さなボタンをプチプチとはずしていく。
これは執拗に迫られて平常心に欠けていた結果だ。
焦りと羞恥で、ボタンを直す指先が震えているのは見逃してほしいところ。
元凶のくせに、彼は「何にたえられないの?」と薄目で笑い、私を見下ろす。
上から目線が優位を語り続けている彼を、私は悔し涙をこらえて睨み上げた。
「かよ」
「ひっ!?」
ビクッと飛びはねた肩を見て、笑みを噛んだ彼の親指が私の唇をゆっくりなぞる。
そしてサイドを流れる横髪へと誘惑を走らせた。
「キスしていい?」
「ダメです!」
そう即答するとわかっていたのだろうか。
動じずに、ニヤニヤした口角を隠す素振りもせず「だってなぁ」と、机に片肘をのせ頬杖をつく。
片方の手は、捕まえた私の一部をもてあそんだ。
「バカヨかわいいんだもん」
くしゃりとはにかんだ笑顔はブービートラップ。
うなずいてしまえば楽になる。が、思うつぼ。
素直にありがとうと言って甘えていれば、彼女としてのポイントが高くつくのだろうか。
そんな自分を想像してみるも、キモイなと自照する。
私はツンと唇を突き出し、彼の指が絡まるサイドヘアをふるふると振った。
「お世辞なんて言っても、髪は触らせませんからね」
「あっそ」
彼はプクッと頬を膨らませ、持参したノートパソコンを机にセッティングし始める。
子供じゃあるまいし、いい年をして簡単にふて腐れるなとあきれつつ、お世辞だったのかと無性に腹が立った。
一方で私をかまうことを断念した彼は、きびすを返したようにいたって真面目。
切り替えが早いのだろうけれど、あまりにも引きがいいので私は寂しさと絶ち切れない思いに憂う。
訝しげな視線を投げてみるも、気づかないようで見事にスルーされ、淡々と資料を読み上げていく彼を睨んだ。
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