意地悪な彼の溺愛パラドックス
意地悪な彼の溺愛パラドックス
ふうふうと湯気を吹き、ほんの少し口をつけて思わず舌を噛んだ。
スウッと息を吸い込み、ヒリヒリと焼ける舌先を冷やす。
「こんな時間に、すみません」
「気にしないで。こちらこそ、バカ弟が迷惑かけてごめんね」
「そんなことないです。私が頼りないのかも」
ひとりで表情を隠して頑なに黙秘を通す彼が私を求める矛盾。
つい苛立ってしまったけれど、私がもっと寛大だったら、彼も心から歩み寄れたのだろうか。
「遼は人に寄りかかるのが、下手なのよ」
「心配、です」
「大切に思ってくれているのね」
根底で彼に拒絶されるような私なのに、微笑む里央さんは、自惚れかもしれないが私を認めてくれているようで、なんだか照れくさかった。

軽快なゲーム機のサウンドが、不協和音のように鳴り響く店内。
点滅するライトに照らされ透き通る、彼の銀色は近寄りがたくて、その存在はまるで世界の異物。
『でも、かよが好きだ』
虫がいいのは彼自信、承知していたはず。
だからこその『ごめん』は沈黙になり、私も、都合のいい私に存在意義を見出だそうと、彼が飽きるまで黙って抱きしめられていることを望んだ。
しばらくして、私たちは無言のまま従業員出入口を出る。
最近は二十度前後の過ごしやすい陽気になったかと思えば突然の夏日と、気まぐれな温度変化に振り回されているが、少しばかり情緒不安定だと思えば親近感が沸く。
「遅いから送る」と言う彼に、私は首を横に振った。
「近いので平気です。お疲れ様でした!」
笑窪を作って手を振って、自分に負けない努力をする。
それがあなたのバカヨでしょう?
だから引き止める彼を振り切って、私は真夜中に飛び出した。
ぐらぐらと覚束ない地面は今にも壊れそうで、早く早く一歩を前に出さなければ崩落してしまうから。
自分のアパートへ向かって、引きつった笑顔のままひたすら足音を鳴らした。
「かよつんっ!」
ハッと息を吐き振り向くと、私を呼び止めたのはコンビニエンスストアから出てきた大和くんで、レジ袋を片手に追いかけてくる。
「遼は? ひとりで夜道は危ないよ」
私は大きく肩を上下させながら、偶然を驚くよりも導きに感謝した。
「大和くん、遼くんって何者?」
「え?」
「なんにも教えてくれないんだよ。心配なのに、なんにもわからないんだよ」
単刀直入すぎて初めは混乱していたが、すぐに私の張り詰めた空気を感じ取る。
大和くんは顎に手をあて、少し考えてから言った。
「遼はなにも言わなかったんだね?」
小さくうなずきながらも、私は苦渋の色を隠しきれずにいた。
彼が拒否したことを、ほかの誰かに請うなんて反則だと思う。でも、震える口角はもう耐えられない。
次に彼に会うとき、きっと心は遠くなっている。
「私、なんでもないふりを、していた方がいいのかな?」
「かよつんは、その方がいい?」
「そんなのやだよ! だけどっ……」
「遼が望むならとも思うし、見ていられないとも思うし、じゃ私ってなんなのー!? でしょ? イライラするよね」
「……大和くん?」
「愛のあるイライラってやつ。俺もよく似た人に手を焼いたから」
朗らかに「わかるわー」と提げていたレジ袋を振り回し、ガサガサと賑やかに辛気くささを一掃する。
「そんなかよつんを、神崎家に招待しまーす」
「え?」
笑窪が消えた私に、大和くんは優しかった。

右耳に髪をかけてから、ふうふうと湯気を吹き、口をつけた里央さんもピクリと目を瞬く。
「大和!」
ギロリと睨んだ里央さんに「え?」と首を傾げる大和くんは、ケトルを片手に買ってきたカップラーメンにお湯を注ぐところ。
「これ熱すぎるわよ!」
「だって俺のカップラが……」
「そういう問題じゃないでしょ!? ごめんね、かよちゃん。火傷しなかった?」
いまだにヒリヒリと焼ける舌先を冷気にあてて私は苦笑いした。
マグカップに注がれたココアからは、ホカホカと湯気が立ち上がる。
ここは大和くんの実家だそうで、深夜にも関わらず快く迎えてくれたのは里央さん。
大きなお腹をなでながら、仕方なさそうにため息をつく先は、大和くんと彼に対してだった。
「かよちゃんは遼の本質を見抜いているし、理解しようとしている。でも肝心な本人が、なかなか芯を見せないのよね」
「やっぱり私では、及ばないのかもしれません。だからいつも、軽くあしらわれていたんじゃないかな」
肩を落とした私に「俺は逆な気がする」と、お湯を注ぎ終えた大和くんが口を挟む。
「リオ、遼は絶対に言わないよ」
「……そうだよね、それが遼だもんね」
そうして開けることになったのは、彼のブラックボックス。
こんなふうに聞いてしまっていいのかという迷いもあるけれど、今聞かなければもう二度目はない気がして、私は素直に流れに身を委ねた。
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