あたしとお義兄さん
12.甘美な戦慄



 顔、首、腕、肩、腰、脚─────ちなみに、何処もかしこも鈴子には彼に見られたくない場所だという事は言うまでもあるまい。
 つぅか、剥くな!公道で公然と女体を弄るな‼︎

「だだだだ大丈夫ですって!あ、貴方!もーいいですから帰んなさい。
 双方怪我無かったし、うちは義兄が来てくれましたから安心?です、とゆーか、そっちが危ないから早く消えなさい」

 静馬の首越しに真っ赤になった鈴子が彼方を指差す。
 彼は心配そうに、だが深々と一つ頭を下げると、傍らの自転車に身を翻した。

「あ、待ちなさい──────」

 静馬が怒りに満ちた形相で顔を上げたその時、

「あ、痛た…」

 鈴子が待ってました、とばかりに弱々しい声を上げる。
「え?リン、リン!何処ですか⁉︎やっぱり何処か痛むんですか?」

 病院に行きます!と静馬が軽々と鈴子を抱き上げ、勢い車の方に歩き出した。
 義妹は突然のお姫様抱っこに慌てて、手を左右に振った。

「ウソでぇす」

 義兄の冷え切った猛禽類の視線が、ゆっくりと身を縮ませる義妹の黒い瞳に止まった。

「──────ご、ゴメンなさい……」

 静馬の身体は怒りと安堵に細かく震えていた。
「貴女という女性は……」

 その視線をじわりと外して、ぱっ、と静馬の腕から降りる。
「だって静馬さんも悪いと思わない?いきなり『この男性は貴女の何なんですか⁉︎』なんて詰め寄るんだもん。
 あの人、思いっきりビビってたよ?」

 今度は静馬が視線を避ける番だった。

 そうだ、アレは拙かった。確かにどう控えめに見ても、義兄として取る態度ではない。
 しかし、彼女が男と居る。それだけで目の前が真っ白になったのだ。

 彼女が恋人をつくる。
 頭では理解している筈だった。
 あの時、それが事実であったとしたら、自分は一体どうしていたのだろう。

「まったく、身内の過保護もいい加減にしないと。今に婚約者候補さん達だって逃げ出しちゃうよ?」

 そう突き出す鈴子の愛らしい唇を、静馬はじっと見つめた。

「わ、分かってますって。あたしも悪かったと思ってますから。そんなに怒らないで」

 狼狽する彼女の柔らかなそれにどうしようも無く惹きつけられた静馬は、右手の親指の腹でそっとなぞった。
 奇妙な沈黙が二人を包むと、やがて義妹の頬は隈なく赤く染まっていく。

「何─────?」
「……唇が……」

 星の双眸が謎めいて煌めくと、鈴子のハートのど真ん中を特大の矢でぶち抜いて。
 どきどきと胸の鼓動が、耳鳴りの様に大きくなっていく。
「唇…が、どうか、した?」

 細く黒い前髪がさらり、と風に揺れて、青年の端正なその顔に影を薄く付ける。
 静馬は左手でゆっくり、鈴子のふっくらとした輪郭を包んだ。

「し…ずまさん?」

 問う様に呼ばれて、夢見るが如き義兄の表情が『はっ』と我に返る。

「あ…ああ、少し乾いてますね。寒いんじゃないですか?」
 その顔を見てようやく鈴子もほっとする。
 安心し、ふ、と微笑んだ。
 その暖かな笑顔に今度は静馬の胸がときめく。

「寒いです!じゃ、うちまで入れてって下さい」

『え?』と呟く静馬のコートの内側に、ぱっと彼女は飛び込む。
 そして、包み込む様に義妹は黒いコートの前を合わせてしまう。まるで、二人羽織だ。

「おおっ、ぽかぽかだ!」
 喜んで「ね?」と懐から見上げるその仕草が可愛い。髪からはフローラル系の香りがした。
 静馬は抱きしめる衝動を抑えつけるのに一方ならぬ自制心を奮った。

「確かに、暖かいですねぇ」
 それでも腕はしっかりと温もりを捕らえている。やがて小脇に移動した彼女はこちらを見上げ、歩みを促した。
 静馬は素直に彼女を伴って、長身の身体を前に進める。

「リンは体温が高いんですか?」
 何気なく冷えた小さな肩を、コート越しに掌てのひらで暖めると、彼女に僅かに緊張が走る。
 それを静馬は見逃さなかった。
 意識、している。

「え、あ、た体温、いや平均な筈だけど、な」
 その赤らめた幼い顔に、静馬の欲望が突如として湧き上がる。


 抱きたい──────震える様な衝動に青年は突き動かされた。


 それは兄妹の抱擁などでは無く、抱きしめるといったほのぼのとした感情でも無かった。

 項うなじに唇を這わせて、思う存分その髪の香りを嗅ぎたい。
 身体の部位一つ一つに所有の印を散らし、二度と他の男になど触れさせはしない。
 腕の中に閉じ込め、技巧を凝らしてあえかな嬌声を独り占めしたい。


 欲しい、と心の底から切望した。

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