あたしとお義兄さん
32.急転直下



「ひゃおおおぅ!井上さん、助けてェ〜‼︎」


 静馬が外耳に軽く歯を立てただけで、鈴子は我を取り戻した。

「…まあ、そんなオチだとは思ってましたがね」

 途端、響く壁の音。低く、何かが隣の部屋でぶつかった?
 驚いて、びく、と身体を震わせたあたしを義兄は素早く別の壁に寄せ、静かにする様に合図する。

「何だぁ〜おっさん、こっちの部屋に誰か居んのかよー」

 ガチャ、と回されるドアノブ。派手な若者達が顔を覗かせた。
「ひゃあーおっさん、オンナ囲ってんの?」「うわ、それ鎖ィ?ナニ無理心中でもする気?」

 二人目が入ってきたタイミングで、ドアの影に居た静馬はその重厚な一枚板に体当たりをする。

「ぐがッ‼︎」「何だッ⁉︎」

 顔面を強打して後ろに倒れると同時に、手錠で戒められた手を組んだうちの義兄イケメンは、一人目の後頭部を横殴りに強打して床に沈めた。
 足枷用の紐を義妹に放った静馬は、無言で気を失った男を束縛する様に頼むと、素早く窓際に寄った。

「そ、そっちのヤツ…で、出て来いッ‼︎こっちに来ねえなら、おっさん殺すぞ⁉︎」
 もう一人目の友達を切り捨てたのか、別の男が怯えながらも挑発しようとしている。
 しかし勿論、静馬は井上社長の命などに頓着していないから無視を決め込んだ。
 ドアの向こうに男が二人と女が一人。
 声で素早く判断した静馬は、鈴子が後手に縛った男を引きずり寄せると、何という怪力だろう…抱え上げて、あろう事か勢いよく窓ガラスに叩き付けた!

 バリーン、と音を立てて外から打ち付けられた板ごとまろび出る若者の身体。
 細身の割に力持ちが判明した義兄を目を丸くして見ていた義妹は、

「───逃げたぞ、外だッ⁉︎」「野郎、捕まえろ‼︎」
 バタバタと彼等が出口に向かう音で、その意図を知った。

 静馬は間を置いてドアを開けると、予想通りそこに殴られて倒れた井上社長の姿を見つける。
 …が、一顧だにせず、素早く暖炉に駆け寄り、火搔き棒を掴み上げた。

「あ、お前っ⁉︎きーやん、コッチだよッ‼︎順イチ、こっちに居るよおっ!」
 女が残っていたらしく、外に向かって叫んだ。
 だが、静馬は手に持った火搔きのなど忘れさせるかの様に紳士的に微笑んだ。こちらにも人質が出来た、という内心悪辣な笑みなのだが、それが年若い少女に分かろう筈も無い。
「恵理子っ、そっちか⁉︎」「おいっ、何処…⁉︎」
 再び中に飛び込んで来た二人が絶句した、その状況。

 それは、とろりと恍惚の笑みを浮かべた仲間の少女が、品の良い美青年と見つめ合っている処だった。

 静馬はその一瞬の隙を見逃しはしない。
 火搔き棒を力任せに若者らの足元を目掛けて投げ付けると、ほぼ同時に身体を捻り、躊躇なく眉間近くに爪先を叩き込んだ。
 脛に当たった鉄棒の激痛を叫ぶ間もなく、一人は階段をずりコケて気絶。一人は静馬に羽交い締めされ、手錠の鎖で喉を締め上げられている。

「さて、恵理子さん…でしたね。お友達がオチる前に、そこに見える予備の手錠を彼に掛けてあげて下さいますか?」
「…そしたら、きーやん離してくれるの?」
 静馬は不安そうな彼女に誠実そうな顔を作って、神妙に頷く。
「バ、バカッ恵理、子っ‼︎な、グッ⁉︎」
「お友達にバカは無いでしょう」
 暴れる男を再び失神寸前まで締め上げ、だらりと下がったその腕に、カシャン!と乾いた音がすると静馬は素早く彼を離した。
 同じ様に両手を戒められたまま咳き込む仲間に駆け寄る少女も無視して、呻いて漸く身体を起こした井上氏に声を掛ける。

「大丈夫ですか、井上社長。─────一体、このお若い方々は何者ですか?」
「こいつが、残りの金を払わないから悪いんだよ‼︎」
 派手な化粧をした幼い少女が、殴られたオヤジを指差して叫んだ。
 それだけで事情を察してしまった静馬は大きく溜息を吐いた。
「爆薬の出所はそこですか。…もう少し相手を選ぶべきでしたね」
 悠々と彼の傍に歩み寄り、落ちていた小さな鍵を拾う。器用に自分の手枷を外すと、静馬は軽く手首を摩りながら、愛しい義妹の側に向かった。

「リン、終わりましたよ。さ、手を出して」
 何の躊躇も無く彼等に背中を向けて鈴子の手枷を外す静馬は、憎らしい程に平常で。
 何だか、鈴子は無性に腹が立っていた。

「…………」
 さりとて掛ける言葉が見つからない。
 素直になれれば『ありがとう』とか、『心配させないで』とか言えるのであろうが。
 それを言えれば喪女人生、苦労は無かった。
「心細い思いをさせましたね。もう大丈夫ですよ」
 静馬はそれに気付かぬフリで、彼女の肘から手首までを軽くマッサージしてやる。
 鈴子の唇は本人の気付かぬまま軽く尖って、大きな男の手からやや乱暴に自分の手を引き抜くと、強引に彼をくるりと回した。

 驚く静馬のしなやかな背中に、コン、と頭を押し付けて。
「ばか」
 と、呟いた。



 ポチ。




 それが多分、何かのボタンを押してしまった様だった。
 言わずと知れた静馬の妖しいコンソールスイッチだ。

「リン、貴女のそれは多分無意識なんでしょうね」

 ぞわり、と背中に何かが走っていく様な妖艶な声。
 慌てて離れようとした時にはもう遅い。鈴子の身体はふわり、と宙を浮く。
 結構な重さの小毬系喪女は、あっ、という間に義兄の肩に軽々と担ぎ上げられていた。

 羞恥にもがく鈴子の抵抗を露わな太股への接吻キス1つで封じ、リビングに戻ると、手錠を掛けられたままの男がまだ井上社長と揉めていた。

 静馬は溜息を吐く。
「……まだ逃げていなかったんですか」

 少女は必死に逃げようと彼の肘を引っ張っているが、欲の皮が突っ張った少年が諦めきれなかった様だ。
「きーやんっ!あいつ、戻って来たッ、ヤバいって逃げよう、ほらっ‼︎」
「馬鹿っ‼︎何の為に俺ら、ここを苦労して突き止めたと思ってんだ。ああっ⁉︎おら!おっさん、さっさと金、寄越せよおっ!」
「ちょっ、静馬さん⁉︎降ろして、降ろしなさいッ!こら、この状況放置して何処連れて行く気なのよっ⁉︎」
 一気に騒がしさが増した室内で、三人三様叫んでいる。

「収拾が着きませんね」
 静馬は渋々義妹を床に降ろすと、彼をペリ、と井上社長から引き剥がした。
「くそっ、何なんだよお前はッ⁉︎関係ねぇだろ、放せよ‼︎」
 暴れる少年を引き摺り、徐に美青年は入り口から外に彼を捨てた。

「きーやん‼︎」

 続けて走り出る彼女に静馬はスッと身体を引き、道を譲る。
 邪魔者は居なくなったとばかりに彼が踵を返そうとした、その時。少年の怒鳴り声が背中を打った。


「─────馬鹿野郎ッ!お前ら皆、吹き飛んじまえっ‼︎」



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