ハロー、カムアロングウィズミー!

「お疲れ様でした。ありがとうございました」

対談後の写真撮影を終えれば、今日の“仕事”は終わりだ。記者の終了の挨拶に続いて、有坂行直が折り目正しく頭を下げた。

「こちらこそ、ありがとうございました」

簡単な感謝の言葉と共に、再チャレンジとばかりに右手を差し出す。

「また、いつかどこかで」

二度と会うことなどないかもしれないと思ったが、あえて笑顔で“また”と告げた。
彼も同じことを思ったのか、僅かに戸惑ったように微笑む。

「はい、ではまた」

内心とは裏腹にがっちりと握手を交わした手をどちらからともなくほどいて、離れを後にする。

彼が生きる世界が、どんなものなのかは正直理解できない。
ただ、それがどんな世界であろうとも、彼はどんな時にも手加減もしなければ、他人に左右されることもないのだろう。
まっすぐに伸びる渡り廊下を一歩ずつ歩けば、自然と俺も背筋が伸びる気がした。

向かいから、浴衣姿の女性がこちらへと歩いてくる。風呂に入ってきたのか、先ほどよりリラックスした表情の有坂の妻だ。
おそらく有坂から仕事が終わったと連絡を受けて、離れへと戻るところなのだろう。

「お待たせしました」

すれ違う手前で微笑んで軽く頭を下げた。

「いいえ、とんでもない。私の方こそ、仕事が終わってから来ればよかったのに」
「いえ、お会いできて良かったです」

おそらくこの数時間気を揉んでいたのだろう彼女に、気にしないようにとにっこり微笑んでみせた。
それでも、彼女は軽く眉間に皺を寄せて心配そうに尋ねてきた。

「直も…有坂も取材は慣れてなくて、ご迷惑をお掛けしたのではと…」
「そんな心配は無用でしたよ。とても有意義な時間でした。実は有坂棋聖に一局お相手していただいたのです」
「えっ?将棋ですか?」
「はい。結果は言うまでもなく、私の完敗でしたが」
「もう…ホントに直は……」
「今を時めく人気棋士にお相手していただけるとは光栄でした。リラックスできたお陰で会話も弾みましたし」
「いえ、こちらこそお世話になりました」

半ば呆れながらも、ようやく安心したのか彼女はふっと息をついて微笑んだ。
何を考えているのかイマイチ読めない有坂に対して、どうやら彼女は考えていることがすぐ顔に出る、素直な性格らしい。
その素直さが、有坂の心をとらえると同時に心配の種でもあるのだろう。まったく接点のない俺に思わず嫉妬してしまうほどに。

「ごゆっくりお過ごしください」
「はい、高柳先生もどうぞごゆっくり」

最後に掛けられた言葉には、あえて否定しないでおいた。
自分たちはこれからゆっくりするのに、俺がすぐにとんぼ返りすると分かったら、変な気を遣わせるかもしれない。

「奥様にもよろしくお伝えください」

にっこりと微笑んで告げられたひと言にも、深く考えずに会釈で応えた。
すれ違う間の僅かな会話を終えて、それぞれの方向へ歩き出す。

方向は違えど、それぞれの愛おしい人の元へ───
一刻も早く、俺は真依子の待つ自宅へと帰りたくなっていた。
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