好きですか? いいえ・・・。





それからみんなで鍋を突いた。カニの身をゴマダレにくぐらせて口へ運ぶ。殻をキュッと引くと、カニの身が口の中に残って、ハフハフ、ホロホロ……。



「やばっ……ほっぺ落ちそう……。」



「オレも……。」落合くんも目を閉じて余韻に浸っている。



「お母さんも……。」お母さんもお茶目に机の下にほっぺが落ちてないか確認する仕草をする。



カニは人を幸せにする。カニは世界を救う。冷めきっている家庭はこうやってカニ鍋をすればいいと思う。私たちは黙々とカニを食べまくった。鍋に残されたネギや豚肉や豆腐が恨めしそうに私たちを見ているような気がした。気の毒だけど、手が止まらない。



「ねえ、落合くん。私、この後勉強教える自信ない。」



「財満さん。オレもこの後勉強できる自信ない。」



私たちの会話が面白かったのか、お母さんが声を上げて笑った。



「あんたたち、なんでそうなわけ?」



「「へっ?」」



落合くんと顔を見合わせた。



「こんなに気が合うのに、『落合くん』、『財満さん』なんて他人行儀な呼び方してるの見てると、笑っちゃうわ。落合くん、キミの下の名前はなんて言うの?」



「あ、拓夢です。」



「じゃあ、拓夢くん。キミは十志子のことを『十志子』って呼びなさい。で、十志子は落合くんのことを『拓夢』って呼びなさい。」



「なんでそうなるわけ!?」



カニのハサミを咥えながら抗議した。



「だってそっちの方が自然な感じなんだもん、あなたたち。まあ、恥ずかしいって言うなら別に教養はしないけど……。」



「けど?」



「このカニはお母さんが全部貰います!」



これは非常事態だ。カニはまだまだある。私は落合くんの方を見た。



「た……拓夢……。食べよ? ね?」



「そ……そうだな。ざ……じゃなかった。十志子……。」



その反応を見て、またお母さんが笑った。お母さんのお椀の傍には発泡酒の缶が置いてあった。多分、酔ってるんだと思う。お母さんは下戸だからすぐに酔う。夜遅く飲み会から帰って来て、私の寝ているベッドに入り込んで、「とーしーこーちゃん!」と言ってキスをしてくる。私のファーストキスはお母さんに取られている。ファーストキスの味はお酒の味。




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