先輩、一億円で私と付き合って下さい!
 ここで娘が帰ってきた気配を感じて、父親も顔を覗かした。
 平常心を装いながら、体の動きはぎこちない。

 俺をチラチラ見て、ノゾミに説明してほしいと催促している。
 その前に志摩子が俺の事を紹介した。

「こちら、天見未那子さんの息子さんで天見嶺さんよ」
「えっ、天見さんの息子さんか。これはこれは、いつもお母さんにはお世話になってます」

 こうなると俺も立ち上がらなければならない。
 「いえいえ、こちらこそお世話になってます」とお決まりの挨拶を返した。

 俺の正体がわかったとたん、ノゾミの父親は安心し、仕事場へ戻って行く。
 とても分かり易くて、俺は却って気に入った。
 娘を持つ父親というのも大変なのかもしれない。

「それじゃ私も仕事があるから、上にあがるね。天見さんゆっくりしてって下さいね」
「ありがとうございます。それとサンドウィッチ、とても美味しかったです」

 志摩子はおっとりと笑って、鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。
 俺は一体何をしてるのかわからなくなって、緊張感が抜けるとソファーにもたれかかった。

「うちの両親が色々と詮索したみたいですね。すみません」
「でも、うちの母がこの店の常連だとは知らなかった。お前は知ってたのか?」

「はい。それで天見先輩とは以前一度会ってます」
「本当か、いつの話だ?」
「昨年……」

 俺は腕を組んで考えた。
 全然覚えてない。

 ノゾミは俺の思い出せない様子に少し寂しそうにしていた。
 いつまで考えても記憶になく、またノゾミもはっきりと教えてくれず、俺は居心地悪くなり、話題を変えた。

「おい、ケーキの材料、生ものもあるし、冷蔵庫に入れなくていいのか?」
「あっ、そうでした」

 ノゾミは材料を袋から取り出し、要冷蔵の物を冷蔵庫に入れていた。

「また、ケーキを作るのか? もしかして俺に作りたいと言っていたケーキか?」
「そうです。今度は父の物を一切使わず、自分の買ってきた材料で作ります」

「それは幸せを呼び込む、願いの叶うお前のオリジナルケーキなのか? レスポワールのろうそくつけて」
「はい、そうですけど、どうして知ってるんですか」

「だって、ここのケーキは願いを叶えるって訊いた事あるから」
 ノゾミの顔がぱっと晴れた。

「なんなら、今から作っていいぞ。俺、ノゾミがケーキ作ってるところがみたい」
「えっ、そんな」

「それか一緒に作ろうか」

 俺にしてはメルヘンチックな提案で、ちょっとムズムズしてきて恥ずかしくなった。
 でも、ノゾミの驚いた顔を見るのは大いに楽しかった。
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