先輩、一億円で私と付き合って下さい!
 一度振り返った後、また前を向いて、ノゾミはスタスタと先を急ぐ。
 俺は、小走りに追いかけ、そしてノゾミの隣に立って歩調を合わせた。
 ノゾミは前だけを見つめ静かに問いかける。

「先輩、私が持ってきたケーキは美味しかったですか?」
「ああ、美味しいだけじゃなく、見かけも良かった。だけどあれは」

 俺がそこまで言うと、ノゾミは畳み掛けた。

「私はそれを聞けるだけで満足です。後は先輩が何を思おうと自由です」
「おい、どうしたんだ?」

「レスポワール」
「はっ?」

「先輩は『レスポワール』の意味を知ってますか?」
「多分、フランス語だと思うけど、意味までは」

「英語だと『ホープ』になります」
「ホープ? 望み? あっ」

 俺がその意味に反応すると、ノゾミは何も言わなくなり、ただひたすら歩いていた。
 行き先を告げられてないと、いつまで歩くのかわからないだけに、それは非常に長く感じた。

「あそこです」
 ノゾミが指を差した場所。

 住宅街に紛れて、目立たずそれでいてお洒落な風合いの建物があった。
 ヨーロッパ風の落ち着いた家を想起させる造り。

 車を数台止められるスペースを設けているため、店は奥に引っ込んでいる。
 そのため店は遠くからだと視界に入りにくく、近くに来て初めてその存在が分かるようになっていた。

 外見も地域の景観を損なわない地味な色のため派手さはない。
 だが、ディスプレイの大きなガラス窓から中を覗けば、メルヘンチックにお菓子が並んでいる店の様子が窺える。

 控えめに『l’espoir』と文字をかたどったロゴの飾りが壁に貼り付けられ、それもおしゃれなフォントでバランスよく店の風格を表していた。

 この住宅街周辺も落ち着いて、そこそこの裕福層が住み着いているように見えた。
 この地域に密着し、その様子から上品な質のいいケーキ屋の雰囲気が漂っている。
 女性が見つければ、思わず入らずにはいられないくらい、隠れた知る人ぞ知るような秘密の場所にも見えた。

「あそこで、買ったのか?」
 俺が訊けばノゾミは葛藤しながらも、首を横に振るが、その後は困惑した顔になっていた。

「私、やっぱりずるをしたのかもしれません」
「どういうことだ」
< 52 / 165 >

この作品をシェア

pagetop