先輩、一億円で私と付き合って下さい!
「お前はちょうど真ん中に居るから、板挟みになって大変そうだな」

 ノゾミは俺から目を逸らし、首を横に振って否定していた。
 再び俺に視線を向けた時、ノゾミは何かを言いたげに口をわなわなとさせていた。

「先輩…… あの、その」
「なんだ?」

 ノゾミは暫く逡巡して、なかなかその先を言い出せないでいる。
 辛抱強くノゾミの言葉を待ち、俺たちが店の前で向かい合っていると、店のドアが開いた。

「やっぱりノゾミじゃないか。ここで何をしてるんだ?」

 まっ白いコックコートにコック帽。
 お腹は少し突出し加減で、全体も丸みを帯びた目の前に現れたおじさんは、いかにもこの店のパティシエに見えた。
 
ノゾミを見た後に、俺をじろじろと見つめ出した。

「お父さん、ただいま」

 お父さん!?

「お、おかえり……」

 その父親は、不意打ちをくらって思い出したように、取ってつけたような挨拶を返していた。
 俺はノゾミの父親を前にして、慌てふためいてしまう。

「ど、どうも、初めまして」
「ああ、初めまして。その、えっと、い、いらっしゃいませ」

 父親も何を言っていいのかわからないのか、おどおどしている。

「ノゾミ、中に入ってもらえばどうだ?」
 この調子ではケーキを振る舞われそうで、俺はすぐさま遠慮の意向を告げた。

「いえ、俺はそのすぐに帰りますので……」
 俺が居心地悪くなっている傍で、ノゾミが気を利かした。

「お父さん、オーブンの前離れていいの?」
「いや、今は別に何も焼いてないんだが」

 ノゾミが空気読めと言いたげに父親を一睨みする。

「ああ、そうだった、そうだった。それじゃどうも」

 俺に気を遣い一礼し、取ってつけたように、白々しく店の中に戻って行った。
 俺も慌ててお辞儀を返す。

 ガラスの窓の向こうでは、父親は振り返って様子を知りたそうに不自然な動きをしていたが、ノゾミと目が合ったのかすぐさま奥へ引っ込んでいった。

 静けさが戻った後、甘い香りが風に乗って、ここがケーキ屋の前であるという事を知らせるように俺の鼻をわざとらしくくすぐった。
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