God bless you!
スカートをヒラヒラさせている危うい女子が居て。
何が何でも負けられない、とは少々言い過ぎ?
考え過ぎ?
テンパリ過ぎ?
先生の采配によっては、俺はエントリーしないまま、試合は終わるかもしれない。そしたら試合が勝っても負けても俺の能力とは無関係なんだからと、これは言い訳にも抜け道にもなる。
こう言い聞かせて自分を甘やかした途端に、「最初から1年なんか出すんじゃねーよ!」と叫ぶ矢吹先輩が夢に現れた。俺が引っ張り出された試合に負けて、バレー部に自分はそれほど必要でも無いと考えて落ち込んでいると、今度は松下さんが天使の如く降臨。「だったら生徒会へ。さあ!」と真綿の笑顔でいざなう。その笑顔の向こうから、着物からくり人形の阿木と、永田1号2号がわらわらとやってきて、俺の足を引っ張り、奈落の底へ引き込もうとするのだ。「学校を辞めますぅぅ」と泣く3頭身のチビが、朝比奈と手を繋いで現れた所で、夢から覚めた。
「学校を辞める、か」
あいつは何をヤケになっているんだろう。いくら冗談とはいえ、簡単に言える言葉じゃない気がする。
俺が出る事になった試合には負けられない。出なくても試合には勝ちたい。勝ってもらいたい。そこはもう先輩にすがるしかない。だが、こっちが勝って誰かが学校を去る……たとえそれが極悪の右川だとしても、そんな事があっていい訳がないのだ。気持ちよく勝った暁には、あんな賭けは冗談だと笑い飛ばしてやってもいい。俺はなんて優しいんだろう。右川カズミめ。俺の情けに甘んじて学校に居座り、3年間ずっと笑われて過ごすがいい。「愉快愉快。ケケケ」確かに、俺は極悪かもしれないと思い始めた。
真新しいユニフォームに身を包み、緊張感を持って迎えた、試合当日。
祝日。土曜日の午前9時。
いつもは半分領域を肩身の狭い思いで使っている体育館が、今日はど真ん中を贅沢に占領したセンターコート仕様に展開されている。相手は隣町の男子高バレー部だ。それほど注目度の高いチームではないと聞いていたのに、それなのに、体育館には、眼を疑うほど賑やかな応援団が出来上がっていた。
「……県大会予選でもなんでもない単なる練習試合なのに」
こっちの応援は女子が多かった。てゆうか、女子ばかりだった。だからといって喜んでる場合じゃない。女子の目線は我が双浜チームではなく、相手校の坊主頭の面々に釘付けなのだ。坊主頭という物珍しさでこれだけ注目しているのかと、のんびり勘違いしていたら、
「3年で、ちょっと人気のあるエースが居るんだって」
ノリが苦笑いで言うけれど、俺から見て、どれがそのエースなのか見当がつかない。
「あそこ、1人だけ居るだろ。坊主になってない奴が」
居た。確かに居た。こっちは坊主頭ばかりを珍しく目で追っていて、そいつの存在がすっかりこちら側に埋もれていたのだ。「孤高のウィングスパイカー、3年の中西だよ」と、先輩から教えられる。
敵の坊主軍団が準備運動&女子の観察に忙しく立ち回っている中で、中西というそいつ1人だけはベンチに座って悠々とテーピングしている。
中西さ~ん!と、声援が起こった。すると、そいつは使っていたテーピングを2階の応援団に投げる。きゃあ!という一段と大きな声と共に、女子が小さな渦になって取り合いが起こった。その取り合いの中に女子バレー部の面々を見た。俺と噂のあいつも……もれなく居た。あんな男のどこが良いのか。なまっちろい顔に唇だけが異様に赤くて、それがどう見ても不自然で気持ち悪くないのか。女子のツボって、いまいち分からない。
今日の練習試合は午前10時からのスタートだった。2セット先取を勝ちとする、3セットマッチである。
試合前、顧問の先生を囲んで、レギュラーメンバーは最終チェックに余念がない。俺達1年生の登場は、先生の采配で決まる。全ては先生の胸一つだった。1年ペーペーの俺達に、ジリ貧の中を暴れてこい!なんて無謀なチャレンジは有り得ないと信じているけれど、練習試合というのは、どんなサプライズが有るとも無いとも限らないから、そこが不気味なのである。
スタート・メンバーには工藤が入るよう言い渡された。さっそくか……!
工藤の溜め息がこっちまで伝染してくる。
「ワクワクすんなァ」
ベンチに向かう矢吹先輩に背後から脅されて、工藤は一瞬で硬直していた。鈍感は、肝心な時には働いてくれないらしい。試合が始まると、先輩に促されて、俺もベンチに座る。
そう言えば松下先輩が居ない。
「塾の模試だってさ」
ですよね。まさか祝日まで生徒会業務なんて事は、それはさすがに無いよな。とはいえ、「模試で試合欠席って、それ有りですか?」とメンバーが部長に訊ねている。うん、俺も同じことを思った。
「試合の方が急だったから。練習試合だし。ま、いいだろ。で、松下の代わりに沢村が出るという事で」
え?
「まさか、そんな理由で俺が入ったんですか」
聞き捨てならない。
「おまえら体格似てるし。生徒会同士だろ。兄弟は助け合え。まったりとな」
「生徒会じゃねーし。あ、いや、すみません。てゆうか、そんなのまるで生贄じゃないですか」
矢吹先輩に絡まれたり睨まれたり、右川と無謀な賭けに興じたり、俺だけが無駄な争い事に巻き込まれたような気がしてくる。こんな事なら俺だって塾があるとか、それこそ見たいテレビがあるとか言ってトボけても良かった……俺の嘆きは、試合開始の声に掻き消された。
噂のエースがサーブに立つ。「中西さ~ん!」と、大きな声援が起こった。そいつは、まるでアイドルのように手を上げて笑顔で返している。試合を見物している双浜高男子あたりからは、余裕で高見の見物を決め込んでいる場合じゃないという危機感が伝わってきた。
工藤のブロックを弾いて中西の速攻が決まり、女子の黄色い声が一段と大きく響く。見た目だけの人気ではなさそう。その実力もさすが3年ともいうべきで、アタックもフェイント攻撃も思うがまま、自由自在であった。
「何やってんだよッ!殺せッ」
「女持ってかれんじゃねーぞ!」
2階のベランダあたりから聞こえてきた声は、いつかの矢吹の取り巻き。あの3年男子。
そこでタイムのホイッスルが鳴った。
「おまえさ、飛ぶ時、身体が縮こまってんぞ」と、縮こまったまま戻ってきた工藤にささやく。タオルを渡してやり、スポーツドリンクも持たせて、肩をほぐしてもみたけれど、その顔色は冴えない。
「あぁぁ。俺のせいで負けたらどうしよう。もう矢吹に蹴られんのは嫌だな」
「蹴られた?矢吹に?」
「うん」
こっそりと矢吹先輩を窺った。暴力には出ないと言われていたのに。俺も実は危なかったのか。
「正確には、矢吹が蹴ったボールが転がって当たって」と、工藤が増々、縮こまる。
……てゆうか。
「え、それだけ?」
工藤は、弱弱しく頷いた。そんなミラクルな偶然に、一体何を弱気になっているのか。
「今はとりあえず忘れとけよ。いつもの鈍感はどうした」
作戦タイムを終え、工藤の背中を軽く叩いてコートに送り出す。
本人に〝鈍感〟と発したのは10年来の付き合いで恐らく今日が初めてなのだが、それどころじゃないという悲壮感が漂う工藤は、ろくに飲み込まないまま聞き流してコートに戻って行った。
190センチの長身から繰り出される猛アタックが工藤の売りなのに、まだ1度も発揮できていない。このまま1セットを終えるのか。それは何だか勿体ないような。
試合は、18点まで、1点ずつ、取ったり取られたりを繰り返した。
この凡退な展開は、ますます俺としては出づらくなってくる。先生、もうサプライズは要りません。工藤で十分です。俺は、このままベンチを温めていたい。
先生を横目で窺うその先、2階でこちらを応援している朝比奈が目に止まった。
小さく手を上げて合図しようとしたら、朝比奈の横、2階のベランダ部分からフレアのスカートをヒラヒラさせている危うい女子が居て、一瞬それに目を奪われてしまう。その子の隣には、ひょろっと背の高い女子が居て、その隣はカメラを手にあちこちを撮影している巨乳男子の、確か堀口。行き過ぎた目の焦点を戻して、ヒラヒラスカートの持ち主をよく見ると……それはどうにも右川だった。
3秒、目を閉じた。パッと大きく見開く。
何度見ても間違いなく、あの右川カズミだった。一直線に並んでいる生徒の中にあって、そこだけ頭の位置が凹(ボコ)っている。
だが、その風貌がいつもと180度違っていた。何と言っても胸まで掛かる長い髪。それが1番不思議だった。その毛先だけがくるくると巻かれているけれど、もともとそんな長くて上品な毛玉じゃなかったはずだ。乱れてもじゃもじゃ、のはず。20センチ……そんな急に髪が伸びる訳がない。カツラか。ヒラヒラの私服も訳が分からなかった。雰囲気がずいぶん違って見える。まさか化粧もしてんのか。大体何でそんなに着飾ってるのか。一体誰を狙って……つまり、おまえも坊主拒否のエースなのか。
その右川と眼が合った。うふん♪とばかり、明らかに俺に向かい、ちゅ♪と手のひらを投げて寄越した。握っていたタオルが、秒殺、俺の手から滑り落ちる。
ふと、恐ろしい疑惑が沸き上がった。
まさか、補習を手伝ってやった事がアダになり、俺に妙なカン違いしてないか。昨日みたいにヤケに突っ掛かってくるのも、実はそんな感情の裏返しだったりして。冗談だろ。
落ちたタオルを黒川から渡されて我に返った。不自然に親切だと感じていたら、
「右川のヤツ、おまえに気があるんじゃないの?」と恐れている事をサクッと言ってくれる。
「チビがどうとか言ってる場合かよ。マズイだろ、この試合は勝たないと」と、俺は話をそらした。いくら冗談とはいえ、黒川がそれを周りに振れ回ったら厄介だと、本能がアラームを鳴らす。
「何だよ、ずいぶん力入ってんじゃん」
例の約束事が浮かんできて、「そりゃ入るだろ。俺のバレー生命、掛ってんだからさ」うっかり呟いてしまった。黒川は、「はぁ?」と笑い混じり、「沢村くーん。必死じゃーん。命がけー。すっごーい。たーのしー」と両手人差し指で交互にこっちの肩を突くと、「ま、がんばってくれよ。オレは部外者だから、ここで気楽に見てるし」と大きな欠伸をした。
「部外者じゃねーだろ!」
相手の強烈ジャンプサーブが決まって、2点という差が付いてしまった。いつもの事とはいえ、どうしてこの非常事態に黒川はシラけていられるのか。
「よし、そのやる気で行け!」
突然、俺は先生に肩を叩かれた。
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