God bless you!
「試合はまだ途中なのに……」
え?
「沢村、行くぞ」
先生に腕を掴まれて、強引に立たされる。「え、え、え、」俺、ひょっとして墓穴を掘った?
サーッと血の気が引いてくる。
チェンジ!の掛け声と共に先輩と交代。アッという間に前衛ラインに立たされた。何とか気持ちを奮い立たせてコートに飛び出したものの、いつものコートが何だかやけに広く感じて、急に足もとから落ち着かなくなる。
「洋士~」と情けない顔で崩れ落ちる工藤と肩を叩き合い、先輩達には瞳で覚悟を伝えた。
気分を落ち着かせようと、指先に力を込める。
勝負は1セット終了目前である。胃のあたりがキリキリと痛んだ。センセイ、何でこんな切羽詰まった時に限って俺なんか。松下先輩、無情にも程がある。こんなサプライズなんか要らないよ。
その後、およそ10分足らずで、すぐに1セット終了のホイッスルが鳴った。
25-22。
追われる恐怖を感じながら、双浜チームは3点差で1セットを勝ち逃げ。今は胸を撫で下ろす。
まさに、勝つために必死で逃げ切った1セットだった。たった10分の出番、俺にアタックチャンスは1度も巡って来なかった。ブロックも歯が立たず、何度か拾ったレシーブは味方には酷な代物ばかり。フォローに走ってくれた工藤に無駄な活躍をさせてしまった。
続けて始まった2セット。俺は最初からメンバーに入る事となる。抜かれた工藤は、俺に向かってニコニコと笑った。安堵を隠しもしない。1セットがギリギリの試合展開に、先輩達にも焦りが見えてきて、「安心できねぇ。死ぬ気で拾えぇ」と目力が急に怖くなってくる。
その2セットは、最初から、あちら側エース・中西の独り舞台となった。
後衛に回ると、まるで穴でも見つけられたように、俺が標的になった。敵の繰り出す猛アタックが、俺の頭上にがんがん降ってくる。1年だと思って、ナメられて、狙われている。誰かの言った通りに。
俺のブロックをカスった球が、味方レシーブの到底及ばない所に飛んだ。
「そんな所に弾いてんじゃねーよ!」
味方のヤジは、球を拾えなかった3年ではなく、厄介なブロックを繰り出した俺に集中している。どいつもこいつも1年なら遠慮なく文句が言えるとでもいわんばかり。
男子は、こちら側というほど優しくない。女子は最初から、あちら側。
味方不在の、まるでアウェー戦。このまま負けたら……何を言われ、何をされるか。誰かの声に重なって、恐怖が倍増してくる。
……おとなしく失敗を避けて逃げ回ろう。
再び前衛が巡ってくると、また何故かこんな時に限って、俺の方にばかりアタック・チャンスが投じられた。セッターに立つのは、こちら側トスを得意とする先輩で、利き手とばかりに、俺に振る頻度が高くなるのだ。とにかく速攻を打ち込む事に懸命になってはみたけれど、それの殆どが中西という野郎のブロックで止められる。どうにか突き抜けた攻撃は全てその先で拾われてしまう。
都合のいい場所にボールは弾かれてはくれず、事実上、俺の繰り出す防御&攻撃の数々は失敗の連続だった。
その点差はどんどん開いてくる。
9―17。
ダブルスコアで取られる事も覚悟しなくてはならない。
そろそろ交代を言い渡してくれないかな……つい、先生あたりを窺ってしまう。
そのまま、2セットは、まんまと奪われて終わった。10点差の、圧倒的なあちら側の勝利である。その時、何かが俺の目の前をかすめて転がっていった。誰かが投げた……ペットボトル。それに続いて缶も落ちてきた。その中味がこぼれて、血の色のジュースが俺の真新しいユニフォームを汚す。
あぁ、これはまるで、いつかの……ヤバい……泣きそうだ。
ベンチを窺うと、矢吹先輩が笑っている。非難轟々の俺を見て、愉快でたまらないのだろう。右川、あいつも笑いが止まらないだろう。大笑い。ケケケ。ざまみろ、とか思ってる。約束通りバレー部を辞めろと得意気に迫る様子が、ありありと浮かんできた。
恐る恐る2階を窺った。朝比奈、堀口、その隣は男子、男子、男子……ヒラヒラの右川が居ない。
「沢村、集中しろ!」
先輩にどやされて正気に戻った。
そうだった。チビなんかを気にしている場合じゃない。
チームは正念場。最後の3セットを迎える前の作戦会議中だった。
先生の注意を聞き、試合開始までは休憩を言い渡され、俺はコートの端でラインの審判に立っている黒川と共に、呆然と壁にもたれた。
3セット……俺は、またしても前衛に立たされる事になる。まだ俺を許してくれない。俺が何をした。
「塾休んでまで見に来るようなナカニシかっつーの。ヤツらもヒマだな」
女子を下から眺めながら、欠伸混じりでボヤく黒川に向けて、「だな」と俺は曖昧に頷いた。あちらのエースを身近で見たいと、わざわざ2階から降りてきた女子を、何故か平然と眺めている。おかしな話だが、こんな非常事態の最中にあっても相変わらずな黒川のシラけた態度が、唯一俺の気を紛らわせてくれるから……本当、侮れない。
ふと見ると、誰だか女子が、1人ぽつんと同じように壁にもたれていた。
俺に向かって、「なーんかー、ややこしい事になってきたねー」と、こいつも全くの他人事だった。一応、双浜の制服を着てはいるものの、人を小馬鹿にしたような耳障りな間延び声を発するこの女子に、俺は見覚えがなかった。
「てゆうかー、黒川くんはぁーここで1人で何やってんのー?」と、黒川に気軽に話し掛けるその態度から察するに、同輩だと言う事は分かる。
「見りゃわかるだろ、旗持ちさ」
線審。いわゆるラインズマン。球がアウトなら上げて、インなら下げる。
そんなバレー界の常識を、黒川がのんびりと女子に説明している。
「先輩のアタックが決まって喜んで喜んで、入ったー!なんてうっかり両手上げた線審が居てさ」バカみてーだろ?黒川が嫌味たらしく、イヒヒと笑った。
……俺だ。ナカチュウ時代の話だった。
そのうち2人の会話は、次第に屈辱の様相を帯びてきた。
「右川は?」
まず黒川が口火を切った。
「あーさっき帰ったよぉー。これから山Pに会うからってー」
「山P?」
「ライブに行くってことじゃないのぉー」
それであんなに、めかし込んで。そういう事か。ホッとすると同時に、だからといってサッサと帰るなんて……俺の試合は、その山P以下なのか。何だか納得できない気持ちも襲ってくる。
「さっきまで居たんだけどぉーもういいでしょって感じで。帰っちゃったよぉ」
一応来てやったが、これ以上試合を見る価値は無いと判断したとでもいうのか。
「試合はまだ途中なのに……」
声に出たのが不思議なくらいだ。胸の辺りで嫌な痛みが走りだす。
「あ、大丈夫ぅ。結果はラインで教えてくれってぇ。あたしー頼まれたからぁ」
結果はラインで。その程度。あれだけ人をけしかけておいて。
今後の試合経過を憂う溜め息か。あるいは、中途半端でチビに放りだされた怒りにも似た吐息か。
立て続けに、鼻から抜けていく。耳障りな女子の話し方も、こっちのイライラを助長させた。女子は、そんな俺の様子には全くお構い無しで、黒川を相手にヘラヘラと話を続けている。
「あのコさ、ローラ目指して髪の毛20センチ伸ばすとか言ってさぁ」
「あの昆虫、やたらハードル高過ぎるんだよ」
「結局無理でぇ。あれはエクステ。金つぎこんでメイクは自己流でラインが滲んでパンダ目になったとかぁ」
「リュックに札束詰まってんだろ。それでどうにかすりゃいいじゃん」
「だーかーらぁ、詰まってんのは札束じゃなくてぇ、紙は紙でも、トイレットペーパぁー!」
イライラしてきた。大事な試合の最中だと言うのに、呑気に〝右川の会〟を始めるコイツらに。おとなしく聞いている、じっくり聞いている、何故か、この場から立ち去らない、そんな自分にも。その場を去ろうとしたらしたで、その耳障りな女子に引き止められた。俺が一体、何をした。
「あー右川から預かったんだけどぉ」と、何やら小綺麗にラッピングされた包みを渡される。
「こんな時に、こんな場所で渡されて、どうしろっつーんだよ」
「頼まれたからぁー。したら、ハイ」
押し付けられた。これから試合だっていうのに、右川の会に常識は無いのか。
開けると……やっぱり、ギョウザ。
〝参加賞で~す♪〟
その時、パリンと割れたのは、恐らく、俺の理性じゃないだろうか。
オマエは単に参加しただけ。それだけの事だと、右川はそう言いたいのか。
体中の血がブクブクと沸騰して、うねりのように襲ってくる。
俺は、そのメッセージをギョウザと一緒に握り潰した。
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