God bless you!
〝右川の会〟
右川カズミ、という女子が居る。
いやいや、この女子は彼女ではない。
今現在にいたるまで実物を見た事が無い。俺にとって、そんな未開の同級生の1人だった。入学以来、その名前だけはよく耳にする。というのも、俺の周りが、かなりの頻度で、その右川カズミの話に沸くからだ。
5月ともなると、誰が何組でどの部活に入っているか、といった高校生活に困らない程度に仲間の事情はとりあえず覚えて、大体はインプットできた頃である。だが、この右川カズミに関しては、その姿形もさることながら、人間性においても未だ全く謎であった。
よく知らなくて謎、なのではない。情報が有り過ぎて謎、なのだ。
「あの背中のリュックでさ、ネコ飼ってんだよ」
とまぁ、いきなり聞いたのが、これだった。
リュックで通学はいいとして。「つまり、ペットを連れて?」
咄嗟に、横から女子が飛び出して、
「違うよぉ~あれには冷凍食品が詰まってるんだよぉ~」
「え?パジャマとかTシャツとか、普通に入ってたと思ったけど」
「いやそれ普通じゃねぇし。どっかでお泊まりだし。つまり彼氏んちだし」
「無い無い無いっ!」
「あいつ家遠いんだろ?遅刻すれすれ。授業終わったら速攻帰ってるじゃん」
「嘘だぁ!あのコ部活やってるよ。……何だっけ?忘れちゃったけど」
「ねぇ、この500円、誰か右川に返しといてくんない?」
「右川って何組?」
話の隙間を狙って俺がそう尋ねると500円玉が弾かれると同時に、その場が一瞬、軽く引いた。
「あのコ、1組だけどさ」と教えてくれた女子も、「今頃になってそんな事」と呆れた様子である。「俺って、そいつを見た事がないんだけど」と言うと、「はぁ?」と、あからさまにドン引きされた。「ちゅど~ん!」「ひ~!」とばかりに、それを聞き付けたそこら辺のヤツらがパニックを装って、くるくる踊る。
「あの沢村がぁ!」
「バレー部エースがあぁぁぁ!」
「次期生徒会長があぁぁぁ!」
ポコポコと小突かれ、意外な方向に持ち上げられて、思いがけず蜂の巣になった。今も昔もエースじゃねぇし。生徒会長なワケもねぇし。
「つーか、その右川だけど、さっきまで沢村の後ろにいたじゃん」
「え?そうなの?」
今更振り返った所でもう遅い。それらしき者の気配にも全く気付かなかった。
「右川ってナノ級レベルの超どチビだからね。あんたにはツブにしか見えないかもしんない」
「それ本人には絶対言うなよ。結構チビを気にしてるらしいから」
「そそ。確実にキレる。暴れる」
「で、昨日は腐った牛乳を飲んだとかで、教室でゲロしたんだよな」
「マジ!?ゲロゲロ!」
「と、右川と同じクラスの野木さんが言ってた」
「は?野木ちゃんは2組だよ」
「あれ?じゃ右川って何組?」
「さっき1組だって言ったばっかじゃん。おまえは沢村か!」
今度は俺じゃなく、そいつがポコポコと喰らっている。
右川カズミについて言えばいつも大体こんな感じで、「超ジャニーズ好き」だとか、「授業中は決まって睡眠学習とお菓子の食育活動に励んでる」だとか、「トイレットペーパーを売って生活している!」なんて、真偽の怪しい情報もちらほらと……それでも、これだけ盛り上がる。
こいつらを1塊として、俺は密かに〝右川の会〟と呼んでいるのだが、よくもまぁそんな事までと言いたくなるくらい色々と知っている。お分かりのようにそれの殆どが、どうでもいい、嘘くさい、くだらない事ばかりだ。だが、その中に、1つだけ気になる事があった。
「こないだの実力テスト、右川のヤツ、数学100点だってさ」
わ、嘘くさ~。
「嘘じゃねーって。右川の後ろに座ってるヤツから聞いたんだから間違いない」
途端、涼しい空気が辺りに広がった。
実力テストは新入生に対して行われる恒例行事であるらしく、英国数の3教科で先日執り行われたばかりだ。入学試験に受かる頭があれば、そんなに難しい問題は無かったように思う。俺は8割を死守した。難しくないとはいっても満点とは取れそうで取れない。100点とは凄い。この時は素直にそう思った。
こうして毎日毎日、休憩ごとに入れ替わり立ち替わり、誰かがやってきて、俺の周りで右川の会を繰り広げてくれる。こっちは、未だに彼女の顔を拝んでいない。
「これ渡しといて」
「これ返しといて」
「お礼言っといて」
右川に。右川に。右川に。
俺ばかりが勝手な頼み事に襲われているような気がしてくる。
この展開で行くと、もう幾度となく右川カズミに会っていいはずだが、「ちょうど1組に用事があるから。あたしがついでにやっといてやるよ」と、こんな具合で、その都度、誰かが名乗りを上げるため、俺の出番は無く、やっぱり今だ右川カズミとは会えずにいるのだ。
聞いていて事実と思えるのは、右川カズミという子は1組、ナカチュウ以外の出身、勉強が出来て、ちょっと個性的な女子、だからといってそれで嫌われているようなコではない。様々な誤解が愉快な噂に混ざって、ちょろちょろと話題にのぼっているだけのような気もする。何度も4組に遊びに来ているというから、意外と顔を見れば一目瞭然かもしれない。そのうち嫌でも会えるだろう。
今日は4時間目が思いがけず自習となった。
昼休みに購買部に直行するヤツらは、「やたっ!今日はコロッケパン買える!」と早くも財布をチャージしている。4階建ての校舎の最上階に1年クラスは並んでいて、2年3年と進級するたびに徐々に階下に降ろされてゆく仕組みなのだが、これは昼休みの生存競争において1年には痛いハンデだった。4時間目が自習ともなると、チャイムを待たずして売店に直行できるとあっては、配られた自習課題はさておき、みんな頭の中は昼メシで一杯だろうな。(俺も。)
課題プリントを早々にやっつけて、俺は妄想を貪るべく、いつものように机に突っ伏した。
付き合い始めたばかりの彼女とは、やっぱり毎日のように一緒にお昼を過ごしている。それなのに、なかなか噂に上らない。そろそろ5月半ばという頃になっても、未だ誰にも知られていないまま。
彼女のマニアックはさておき、多くの生徒が行き来する場所を、俺としては選んではみるものの、通り掛るのは馴染みのない先輩や大人しそうなヤツばかり。冷やかしてくれそうなヤツが都合良く見つけてくれないから。
「昨日も2人で居ただろ?な?おい!」
とうとう来たか!と驚いて飛び起きた。
だが、よくよく聞いてみると、またしてもご存じ、右川の会である。
「妹と2人でトイレットペーパーを食ってたぁ!」
あー妹が居るのか。初登場だ。しかし、右川カズミはトイレットペーパーを売ってるんじゃなかったか?〝売ってる〟が〝食ってる〟に変わっただけ。「噂の進化に騙されるな」俺は、どんよりと再び机に突っ伏した。
そんないい加減な大騒ぎをしているのは、5組でバスケ部の永田ヒロトだった。
4組の自習時間を聞きつけて、わざわざやって来たに違いない。
「右川のヤツ、マックで寝泊まりしてんだぜ!」
そんな事を叫びながら、牛乳を飲みパンを千切り、お昼までも待てないのか早くも食っている。
「ウゼぇぇぇ」と周りが項垂れるのをモノともせず、「右川の妹ってさ、東大行ってんだぜ!」と、よく考えもせずにトピックをブチあげた。結果、「妹が大学生な訳ねーだろ」と誰かに突っ込まれて凹んでいる。こっちは東大という言葉の魔力に惑わされてじっくり聞いてしまった事を後悔するだけ。疲れるだけ。
鬱陶しい。
永田はその一語に尽きる。声がデカい。顔がデカい。態度がデカい。
「おい!2組の川西がさ、今度女子高と合コンするってばよ」
それはもう右川の会どころじゃないと周りの男子は一斉に飛び付いた。
だが、当然と言えば当然、俺にはもう必要ないから。
「沢村も来いよっ」とか言われても。
「俺はいいよ」
「何で?居ない歴15年、さらに更新目前だろーが」
5月15日。俺は16歳の誕生日を来週に控えている。仲間内でも、割りと早い年齢更新だった。そこを当てこすり、彼女居ない歴16年を早々に迎えるオマエだ!と、永田は笑っているのだ。俺は机で目を閉じたまま、「おまえだって来月になれば同じようなもんだろ」と呟いた。
「何だよ。何シラケてんだよッ。AVアイドル激似の女が来るんだぜェ。男なら誰でもいいんだってさ。超ありがてぇ!疼くだろ?欲しいだろ?な?な?そうだろッ!?」
永田は追及満々である。「スカしてんじゃねーって!うりゃ」と小突かれた。
しつこく絡んで来るので堪りかねて、いっその事ここでカミングアウトしてやろうかと思い立ち、俺はヒョイと起き上がる。
「あのさ、それがさ、実はなんだけど」
永田はそれを遮って、「だーっ!こいつ全然やる気ねーよッ。今度はオマエだッ」と、矛先を別の男子に向けた。聞けよ、ヒトの話を。肝心な事を。永田のおかげで、心地よい眠気がすっかり飛んでしまった。
彼女の存在。それは、いつかは白日のもとに晒される。今は、束の間の平和を享受するのだ。永田に捕まって血祭りに上げられるその日まで。
大きく伸びをして、ふと気付くと机の上、コアラのマーチが一粒、また転がっている。俺がうとうとしている間に、いつもの誰かが、またひっそりと置いてくれたようだ。
「今日は学者か。勉強しろ。課題は自分でやれよ」なんて呟いてみたけれど、誰も聞いてねーし。
程なくして、「もうやった?写させてよ」と自習課題を巡って、いつの間にか俺の周りが一段と賑やかになった。写し終わった団体は永田を中心に右川右川とまた始まって、「妹じゃなくて弟だ!」「そりゃ年下の彼氏だ!」「援交のオヤジはどうした!」「双浜高御用達、県道沿いのラブホに入って行った!」と不毛の話題に沸騰している。そんなの、どうせ見間違いだろう。それより合コンはどうなった?
「右川は、牛を飼ってる!」「エアコンを運んでいる!」「ゴミ屋敷に住んでいる!」と、まだまだ嘘くさい相変わらずのネタばかりで新鮮味に欠ける。「またその話かよ」と、正直飽きてきた。
そろそろ右川の会も解散してもらいたい所だ。そのうち、俺と彼女がどうのこうのと、そんな話題に取って代われたら……それを期待して、気長に待つとしよう。
それを聞いて永田が慌てる様を思い浮かべていたら、少々、口元が緩んできた。そこにコアラを放り込んで、薄ら笑いを誤魔化す。
そんな浮かれ気分をアザ笑うかのように、右川の会の、冷静な一撃が炸裂した。
「右川のヤツ、学校辞めるんだって」
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