God bless you!
右川は、俺なんか見ていない。
どこかで聞いた事のある奇声がした。
そいつは、ペラペラと喋り、ケケケと笑う。
俺はもう一度、静かに椅子に座り直した。
フッとななめ後ろを、ゆっくりと窺うと……居た。
中川軍団に埋もれて、オバケのように、ひっそりと、小さい毛玉が。
座ってる俺と、立ってる右川の違いがこんだけ!?そんな信じられない長さを目の当たりにした。気が付かない筈だ。人の気配を感じ取るセンサーが、人類と認識できないって。
右川は、俺の少し離れた斜め後ろにいて、こちらには半分背中を向けている。俺はもう1度、真っ直ぐに座り直した。腕を組み、寝た振りを決め込み、背後から聞こえてくる会話に耳を集中させる。
「ねえ、今日もバレー部の練習、見に行かない?」
右川ではない女子の声。思いがけずバレー部が話題に上っていると、さらに耳を澄ませた。
「急がないと、すぐ消えちゃうんだよね。松下先輩は」
聞いていると、右川の友達らしきこの女子は、どうやら松下先輩の熱狂的なファンらしい。「先輩とコンビニで偶然会った」とか、「先輩と同じシャーペンを見つけた」とか、その女子が一方的に喋っている。宇宙語を発してから以降、右川はもっぱら聞き役であった。
「こないだの試合、先輩居なかったじゃん。また堀口くんに頼んでくんないかなぁ。今度は部活中の所を撮ってもらいたいんだけど」
堀口が頼まれた写真とは、松下先輩のものだと知った。
その女子が、「松下先輩の生年月日とか、血液型とか知りたいよ」と甘えた声を出すと、「あ、それは心当たりがあるから、あたっといてやるよ」と、右川が調子良く引き受けている。心当たりとは、生徒会・同中の阿木キヨリの事だろうか。まさか俺の訳はないよな。
右川は、その場で俺には一切声を掛けず、こっちが寝た振りの隙にお菓子を置くといった事もしないまま、「あたし、松倉んとこ寄るから。じゃあね」と教室を出て行ってしまった。
俺は慌てて立ち上がると、後から右川を追いかけた。階段の踊り場で追いついたものの、何を話せばいいのか。「おい」と呼び止めた後で迷ってしまう。
咄嗟に、
「あ、従兄弟さん、元気?」
できるだけ友好的に口を利いたつもりだったのに、
「呼びとめてまで脅迫。あんたホントしつこいよ」
右川はグッと冷えた視線で俺を睨む。確かにそうとも取れるかもしれないと、「あ、いや。そうじゃなくて」
慌てて、「補習って、終わったのかよ。あ、いや、今度の中間って、どうなの。いけそうなの?」
そう畳み掛けると、さらに険しい形相が、右川に浮かんだ。
「人の不幸を追い掛けてそんなに楽しい?まだ優越感に浸りたいの?今度また覗いたら殺すからね」
周りが聞いたら、身に覚えの無い容疑でこっちが疑われそうな言い草である。
その時、一人の女子が、階段の下から遠慮がちに近づいてきた。
「右川ぁ、松下先輩ね、今日も生徒会だって。だから見学は止めとく」
腰に届きそうなほど長い髪の女子だった。声から察するに、さっき右川を相手に喋っていた女子とは別の子で……松下さんて、めちゃモテかよ。すげーな。
その女子は踊り場に掛ると俺に気付いて、「うわ!」と驚いて飛び上がった。「びっくりした~」と胸に手を当てて、人懐こい笑顔を向けてくる。
「こないだの試合見たよ。凄かったね。大活躍じゃん」
堀口以上に、右川の友達とは思えないほどの好感触だった。それに気を良くして、「実はこれから生徒会室に行くんだけど。その……松下先輩に呼び出されちゃってさ」と意味深に言って見せる。女子は「うわ、聞かれちゃったかぁ」と頭を抑えた。「俺、最近、何かと頼まれ事が多くて」と、先輩と親しい事をアピールしてみたらば、「いいなぁー」と、女子はうっとり肩から崩れる。
「アリーナ席VIPで拝めるなんて。あたし今からでも沢村くんに生まれ変わりたいよ」
「そ?先輩からして、俺なんか都合のいい生贄だけど」
「えー、何それ?ウケる」
おとなしそうに見えて、結構冗談も通じそうだ。髪の毛が綺麗で。ちょっと、可愛い感じで。俺には全く馴染みのない女子だった。もしかしたら、この子も右川と同じ中学出身かもしれない。右川を横目に、ここで友好的な自分を売っておくのも悪くないと、その女子に松下先輩の行状を色々と話して聞かせた。
成り行き上、松下さんの彼女の話題になり、俺はそれを知ってはいたけれど、何処まで話していいのか迷う。松下さんの彼女は別の女子高にいる。それを知っている人は意外と少ない。ここは曖昧に濁した。プロフィールはバレー部の部室にある写真付きの名簿を見れば一目瞭然だと言えば、「それ!コピー欲しい!」と、女子は嬉しそうに右川に抱きついた。
ふと、生徒会の書記が未だに決まらない事を思う。
「良かったら、俺から君を推薦しようか」
「え、でもだってそれは……」
女子は助けを求めるように右川を覗き込み、「それはちょっと、ね」と、声がトーンダウン。いきなり、これはマズかったかな。「あ、無理は言わないんだけど」と、そこまで言い掛けた時、
「あんた、いい加減にしなよ」
右川は突然に怒り出し、俺の膝裏を、横から狙い蹴りした。
すこん!と、瞬時に膝下を引っこ抜かれて、俺はその場に倒れた。尻ポケットのスマホが嫌な音を立てる。
「松下先輩の名簿はノゾミちゃんにお願いに行く。あんたには絶対、頼まないから」
そう吐き捨てて、右川は階段を降りて行った。
鮮やかな一本。
痛みは全く感じなかった。
呆気にとられ、まるで呪いを掛けられたみたいに体は固まって、俺は、しばらくその場に倒れたままになる。……あいつは、いきなり何を怒ったのか……。
俺は単に女子を生徒会に誘ってみただけ。無理強いした訳ではない。
確かに生徒会担当の吉森先生は松下先輩とも話せるし、部活の名簿だって自由自在だ。だが話の成り行き上、俺が目の前に居て、欲しいなら手っ取り早く俺に頼めばいいだろう。……今なら喜んで頼まれてやるのに。
女子は、倒れたままピクリともしない俺と、階下に去っていく右川を交互に眺め、動揺しながらも右川の後に続いて行った。
「ここんとこ毎日のように汚れてんな」
俺はぐったり立ち上がって、制服のあちこちを払う。
俺は、右川の補習を手伝ってやった。試合にも勝った。ある意味、右川の弱みも握っている。
こっちが断然、優位なはずだった。なのにイライラするのも、気を使うのも、コケにされるのも、俺ばかり。納得がいかない。
右川を幽霊だと思った事がある。こうなってくると、何だか自分のほうが幽霊のような気がしてくる。
右川は、俺なんか見ていない。
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