God bless you!
俺も、右川を見ていなかった。
俺も、右川を見ていなかった。
その日の放課後は荒れた。
戦いの場は、まず生徒会である。
また永田2号に捕まって遅れ気味に向かった所、生徒会3役に、勢ぞろいで出迎えられた。
何やら只ならぬ雰囲気の中、松下先輩から、「配り物はもう無いや」と言われ、今度こそ面倒から解放されるとホッとした所に、「君を書記に任命する。正式に」と3年の生徒会長から笑顔で通達された。
逃げようとすると、「1年間、一緒に頑張ろうな!」と永田さんに押さえ込まれる。まるでカツアゲ現行犯。その様子を眺めながら、松下先輩はニコニコと頷いている。これは、いつかの悪夢。それが今、正夢となって展開されている。
松下先輩を前に、バレー部が忙しいから出来ません、という言い訳は通じない気がした。
「無理です。手に負えません。お断りします」と、直球きっぱりと言えば、
「出来るんじゃない?あなた暇なんでしょ」と、阿木キヨリが無表情で来た。
ムッとした。ろくに口を利いたことすら無い阿木に、暇と決め付けられる覚えは無い。
永田さんが、「あきらめろ」と俺の肩を叩き、目の前に何やらブ厚いプリントの束を置く。
その表紙には〝沢村くんを、ぜひ生徒会に!〟と文字が躍っていた。
生徒会3役と吉森先生の承認まで記されている。慌てて表紙をめくると、多くの名前が列挙されていた。4組は、ほぼ全員が載っていた。ノリ、黒川、工藤、永田2号。よそのクラスまで縦横無尽に。
「何ですか、これは」
声が震える。訊くまでも無い。答えは分かっていた。
署名嘆願。
そして、知りたくなかった。
「ほぼ三分の一の署名があるから、これで決まりだな」
スーッと血の気が引く。こんなの、夢には無かった。「断固、拒否します!」
永田さんはすかさず、「それだけじゃないぞ」と、俺を慰めるように肩に手を置くと、「沢村くんが生徒会やらないなら、あたし学校辞めます!って、女子が泣きながらお願いに来てさ。ドラマみたいだな」
「……女子?」
ぼんやり、永田さんと見つめ合う。
学校を辞めます……それだけでなんとなく嫌な予感がした。
「こないだの試合で、その子にド突かれたんだって?」
永田さんがそう言うと、生徒会長も松下さんも、阿木キヨリですら下を向いて笑っている。俺は見逃さなかった。阿木が……署名の2番手に甘んじている阿木キヨリが、永田さんに向かって、得意げに親指を突き出している所を!祥地の……悪の枢軸。
嘆願書の筆頭。それはまさに、右川カズミだった。
こんなの、いつの間に。
「あの、くそチビ!」
向こうはどうあれ、こっちは無視するわけにはいかなくなった。俺は、引き止める松下さんを振り切って生徒会室を飛び出し、1組に飛び込んで右川を血眼で探した。居ない!2組、3組、とクラスを捜し歩いた。部活でもないのに汗が流れる。まさか俺の4組に堂々と居る訳はないだろと、そこを飛ばして5組、6組。音楽室も視聴覚室も、どこにも居ない。くたくたで4組に戻ってくると、まるで俺をアザ笑うかのように、右川は堂々と4組のド真ん中に居た。
「悪党を一匹、ブチ込んでやったっ」
得意げに、右川の会の面々に報告している。
「けどさ、マズくない?沢村本人にバレたら殺されんじゃねーの?」
「オレ、4回も名前書いたし。たぶん4回殺されるし」
「あたしなんて、お婆ちゃんの名前まで書いたんだよ。先祖代々、祟られるよ」
どっ!と笑い声が起こった。
そういう事か。
三分の一。ほぼ1年生全員の署名なんて、そう簡単に集まるもんじゃない。
「‘%%$#$#$%*?#$%!」
右川が奇声を出すと、また周囲がドッと沸いた。血の気が引いて引いて引きつくして、いつかのように頭のどこかで徐々に大きな塊になってくるのを感じる。俺は大きく息を吸い込んだ。
「いぇーい!」得意げに両手親指を突き出した右川は、入口で青ざめて立ちすくむ俺にようやく気づいたと思うや否や、ぎゃっ!と廊下に逃げ出した。
ヤツを追いかけるその前に、俺は嘆願書に署名した面々を、1度ぐるりと見渡す。
「忘れねーぞ。この恨み。オマエ×4回。それから、そいつの婆さんも!」
右川は、廊下で堀口に捕まっていた。「右川を止めてくれ!」と俺が叫ぶと、その声に驚いて、堀口は「ぎゃっ!」と右川から飛び退いてしまう。いつでも手伝うと言ったじゃないか!……もういい。使えそうにない。宛てにした俺が間違い。また全速力で走り出した。
その先、あと少しで首を捉える所を右川はすり抜けて、女子トイレに飛び込む。女子はすぐこれだ。ここは女子の聖域だと結界を張る一方で、男子トイレには団体で堂々と入ってくる。
飛びこんだ右川と入れ違い、松下先輩のファンだと言うさっきの、ちょっと可愛い女子が出てきた。
「右川、今入ってったよな?呼んできて!頼むから捕まえてくれ!」
「右川?あ……窓から……出て行った、かもしれない」
逃げられたか。
悔しさではらわたが煮えくり返る。その時、俺の背後からこっそりと誰かが近づいて来たので、一瞬右川かと思って振り返ったら、阿木キヨリだった。
「探したわよ。予算の一覧表作るから手伝って。今日中なの」
「俺はやらないぞ!絶対に!」
そう叫んだ矢先、3年の生徒会長の声で放送が入った。
『書記の沢村く~ん、仕事たまるよ~早く来てよ~みんな帰れないから~』
ハウリングだらけ。無能を露にしたような気の抜けた声だった。そこで、「往生際が悪いぞ」と永田さんに腕を掴まれて生徒会室に監禁される。書類をどっさりと手渡され、「沢村が間に合ってよかったよ。雑用が溜まって溜まって」と待ち受けていた松下先輩にいつもの笑顔で縛られた。
思えば、どうして俺ばかりが配り物を頼まれていたんでしょうか。松下先輩は最初から俺を執行部に入れる気満々で動いていたと……ここまで来れば、嫌でも分かります。陰謀は暗く、静かに進んでいたのだ。
インチキな署名は無効だ!と訴えるのは、無駄な抵抗なんでしょうか。
「学校辞めますって女子にそこまで言われて、おまえ頼りにされてんな。めちゃモテじゃん」
永田さんに持ち上げられて、「松下さんほどじゃないです」と、ぼそり。
……みんな、騙されている。
〝学校辞める〟とは究極の殺し文句だと、俺は悟った。そう来られると、そこまで言うほどの、どんな辛い事があったのか?と、否応なく気持ちが同情に傾いてしまう。沢村くんに書記を押しつけるくらいならアタシは学校辞めます!と誰でもいい、1人でいい、どうして言ってくれないのか。
偶然めくれた嘆願書の中に朝比奈の名前を見つけた。
フッ。
独り、蒼ざめて笑う(しか無い)。
いつだったか、右川が咄嗟に隠したプリントの束、あれは嘆願書だったのか。朝比奈は、右川に勉強を教えていた訳ではなく、まさに署名した直後だったと言う事か。意外な所からアダが返って来た。返信も来ない訳だ。今頃、朝比奈ぐらいは罪悪感に浸っていると信じたい。
生徒会では、近日開催されるという予算委員会の準備に追われていた。
俺の初仕事は、「厳守!」と念を押したにも関わらず回答の締切りを守らない部長らに嫌味を言われながら、書類を回収して回る事だった。回収して戻って来たら来たで、バージョンアップされていないエクセルを叩き起こして、パソコン画面に数字を打ち込む。じっと画面を見ていると目がチカチカしてきて、数字だか虫だかゴミだか、分からなくなってきた。
「同好会、愛好会、何でこんなに沢山あんだよ!」
「確かに無駄だわ。でも今はとりあえず手を動かしましょう」と、阿木キヨリ。
「締切りを忘れたくせに、権利だけ主張すんな!」
「まったく正論ね。でも今はとりあえず手を動かしましょう」と、阿木キヨリ。
何を言っても、冷静沈着。阿木キヨリは意外に生徒会向きかもしれない。
3年の現生徒会長は無能というほど怠けている人ではなかった。けれども、中学の比じゃない程、高校生徒会はハードだった。それこそネコの手も借りたいほどに。
にゃあー……あぁ、もう学校辞めたい。



学校中を走り回って、くたくた。目も痛い。
6時を回っていたけれど、とりあえず部活に1度は顔を出した。早くも、松下さんと似たような事をやっている。ここまで遅くなると、怒られるのもイジられるのも覚悟で開き直っていた所、先輩達は誰も居なかった。仲間が後片付けを終えて、ちょうど体育館を出てきた所である。
まず最初に、ノリが俺を見つけて手を上げた。書記として執行部に名を連ねてしまったよ……改めてそんな報告、するまでもないだろう。
とっくに分かっているはずだ。「おまえらぁー!」と、ムッとして見せたら、
「ジタバタしないで、最初から入ってろよ」と、元も子もない黒川に、まずカチンとくる。
「高校でも副会長かぁ。出世コースだよなぁ」ちゅどーん、とばかりに工藤には飛ばされた。
「……書記だよ」
おまえは鈍いまま、何処まで行くのか。
「部内に執行部がいれば、いい事あるって右川さんが言うから。予算とかね」と、ノリは言い訳がましく言ってくれるけど、それは松下さん1人で十分だと思わないか?
部活に遅れる位は大目に見てもらえそうで。その証拠に、俺達と入れ違いで部室から出てきた矢吹先輩には、「おまえも大変だな」と優しく(?)肩を叩かれた。これがその、生徒会効果なのか。初めて人の優しさに触れた気がした……とか言いたくなるぐらい、いいだろ。それ位は報われてもいいと気を良くしていたが、部室で1年だけになった時、黒川が怖しい事実を説いた。
「あれは、おまえが右川にクソミソ、粉々にやられたからだ」
聞けば、あの練習試合以降、矢吹先輩は、「沢村のヤツ、小学生のガキにイジられて泣いちゃってさ」と愉快そうに周りに言いふらしているという。一瞬、眼の前が真っ暗になった。全てが、俺の都合の悪い方へと運ばれている。
帰り道、朝比奈にメールしようと、ポケットのスマホを探った。俺の心の叫びを、顔の泣いているスタンプWで送り付けてやる。これが実質、仲直りになりそうだ。今から会ってもいい。右川なんかに肩入れしやがって。恨みごと、愚痴、もう何でも聞いてくれよって感じ。もちろん慰めてもらいたいし、ちょうど良く、お腹も減っているし。
……泣く。これはもう、絶対に泣く。
朝比奈とのラインも、電話番号も、一切分からなくなった。
俺のスマホはケースを外れ、画面は複雑に割れている。
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