僕等の青色リグレット
新聞に書かれていた住所によると、この民家のどれかになるはずだけど、なんせ50年も昔のものだ。表記の仕方が違う場合もある。
実際、西に向かって5、6、7と番地が並んでいるはずなのに、途中で15、17といったものが混じっていたりして、ややこしい。
なので私たちは番地を当てにせず、「飯島」という表札が掛かっているお家を探すことにした。が、これはなかなか骨が折れる作業だった。
そもそも都会と違ってこの辺りは家と家の間が広い。どれくらい広いかというとテニスコートが2つくらい入りそうなほどだ。
それらのお家を1軒、1軒。やっとお目当ての表札を見つけた時には、晴登くんも私も汗びっちょりになっていた。
「いいか? 押すで」
「待ってなんか緊張する」
「何もそんな構えんでも、気楽にいこうや」
「そうだよね」
インターフォンの前で、そんな会話をする私たち。
すると、庭の方から50代くらいの女性が顔を覗かせ、「うちに何か御用?」と、声を掛けてくれた。ちょうど植木に水やりをしていたらしい。
「あの、私たち、飯島麻子さんという方にお会いしたくて」
「まぁそうなの? 麻子はうちの母です」
優しそうな笑顔が零れる。どうやらこの方は麻子さんの娘さんで、その口ぶりから麻子さんはまだご存命のようだ。
「中へどうぞ」というお言葉に甘えて、私と晴登くんは玄関のところにある見事な薔薇のアーチをくぐった。