【短編】生け贄と愛
「貴方は今まで、一度も」
「ああ、お前を人として見たことなんか無い」
残念だったな、と残酷に笑う彼。
真っ白な肌に透明な雫が滑った。
「なあ、ロゼ。お前、使いに出されるときはいつも何を持たされてた?何を買うように言われた?」
パンと、果物。飲み水に少しの干し肉。
「人間は腐っても人間だからな。神父だって厄介払いしたくて仕方なかったんだろうな。準備万端じゃねぇか」
「神父様はそんなことなさらないわ…!」
「普通の奴なら追い出してたところを周りくどくやってんだよ。じゃあ使いに出すとき、どうしてお前に帽子やらを被らせない?」
「そんなものを買うお金が無いからよ」
「ではどうして一人で行かせる?髪を切ろうとは思わなかったか?今まで一度も?」
髪を切ろうとしたことがある。
しかし、それを神父に止められた。
「もう諦めろ。お前は黙ってここで俺に吸われていれば良いんだよ」
ふ、と笑う彼は美しい。
そして、どこまでも残酷だった。
ロゼの首に牙が突き立てられる。
突如として襲ってきた痛み。
しかし、もう彼女は抱ける希望の全てを手放していた。
そして──笑った。
口角が上がった彼女の横顔をちらりと見、シルヴェスタが少し固まる。
「…何がおかしい」
一旦牙を抜いて身体を起こし、抵抗しないのかとわざとらしく言ってみるも、ロゼは笑みを絶やさなかった。
「何だ、吸われたいのか。何故、黙ってる」
悲しそうな笑みだった。
「…お前は言わないのか、化け物と」
思わず、そう尋ねてしまった。
どうしてかは分からない。
自分でも不思議なほどに、その悲しい微笑みを見ているのが辛かった。
「もう良いの」
諦めたような声色だった。
ここへ来てから彼女から聞いたことのなかった響きだった。
終わらせて欲しい、と彼女は言った。
悲しみからか、痛みからか。
真っ赤な目に涙を一杯に溜めて、それでも流すまいとするようにシルヴェスタを真っ直ぐ見つめていた。
「貴方は、私を…初めてちゃんと見てくれた人だから」
ロゼはこれ以上彼の言葉を聞いていたくないのだと言った。
どうせ死ぬなら。いつまでも“人”になれないのなら。
初めて自分に笑いかけてくれたシルヴェスタを忘れたくなかった。
甘い、優しい記憶の中に彼を閉じ込めたまま終わりたい。
今のシルヴェスタが本当の姿なのだろうから、否定もしない。
だからシルヴェスタに終わらせて欲しいのだと言った。
「シルヴェスタ」
ぴくりと彼が肩を揺らす。
シルヴェスタは何も言葉を発することが出来ないでいた。
胸が苦しい。
こんなロゼを見ていたくないと言う自分がいた。
悲しく笑っている彼女など。
そんな目で俺を見るな、と叫びたい衝動に駆られた。
こんな顔をさせたのは自分だというのに、そんな身勝手な思いを抱いた。
「私を見てくれて、ありがとう」
やめてくれ。お礼を言われる資格などない。
「貴方が私をどう思ってても、私は嬉しかった」
「ロゼ」
彼の口をついて出た言葉は、情けなくも名前だけ。
「お願い、最後だけ。“彼”でいてくれない…?」
シルヴェスタの中で感情が渦巻く。
そんな懇願に、どうしようもなく腹が立った。
何も言わず、彼女の首筋に牙を立てた。