【短編】生け贄と愛
ロゼ、と名前を呼ばれて差し出された手。
しかし、それを素直にとることは出来ない。
助けてくれたのだと分かっているが、ついさっき彼に突き放されたばかりだ。
ロゼは怯えた目でシルヴェスタを見つめた。
どうしたら良いのか分からない。
喜んで良いのか、悲しんで良いのか。
彼は何を考えているのか。
そのまま沈黙が過ぎた。
暗闇でシルヴェスタの表情がよく見えない。
「…立てないのか?」
心なしか少し優しい声で彼が呟いた。
しかしそれにも答えられない。
喉に蓋がされてしまったように声が出ない。
一体これから何を、誰を信じれば良いのか分からない。
自分さえも信じられない。
「そうか、ナイフが」
彼がすっとしゃがみ、ロゼの左の腿に触れた。
ナイフがまだ突き刺さっている箇所だ。
しかし、痛むそこよりも彼の手に驚いてしまう。
びく、と身体が跳ねる。
震えが止まらない。
「抜くぞ」
ロゼが何も言えないまま、彼がナイフを抜く。
ぶしゅっと血が噴き出した。
シルヴェスタの顔に赤い飛沫が散る。
だがそれに頓着せず、彼は自分の着ているシャツを破り、二週間前のように手際よく巻いた。
身体を動かせないまま、ロゼは彼をじっと見つめるしかなかった。
ぎゅっと彼女の腿の傷が縛られ、シルヴェスタが一息ついた。
「ロゼ…」
もう一度名前を呼ばれる。
今度こそ何か言わなければと、ロゼは僅かな力を振り絞って声を出した。
「どうして、来たの。出て行けと言ったのはシル、ヴェスタ、じゃない」
新しい傷が痛み、途切れ途切れにしか伝えられない自分を疎ましく思う。
「…契約が、まだ終わっていない」
そう答えた彼に怒りがこみ上げた。
「そんな理由なら、私はあのとき貴方にっ……」
殺して欲しかった。
そう掠れた声で言うロゼを、シルヴェスタが優しく抱き寄せた。
「俺が、嫌だった」
傷に障らないようにとの配慮だったか、彼の声にはその弱い力の腕とは正反対なほどに感情が乗っていた。
「初めは吸うつもりでいたのに、出来なかった。お前と過ごすのが、楽しかった」
「そんなの信じられるわけ、ないでしょう」
「分かってる。すまない」
「何で、謝るの……」
さっき、顔も見たくないと言ったではないか。