先生、僕を誘拐してください。


「……そうです」

廊下に出てきた朝倉くんを視界に入れないように音楽室のカギを閉めた。

「……触れたら壊れそうだし、触りそうなものを手あたり次第壊して危なっかしい印象だったけど、丸くなったね。付き物が落ちたみたい」

「それはどうも。あなたも早くそうなればいいね」

奏がそばにいてくれるだけで、私にはかなりの精神安定剤になった。


そんな相手が、この人にも現れたらいいのに。


「君だけは癒されて、奏くんはどうなの?」

「……なに、それ」

「君に言っていないことがあると思うよ、彼」

意味深な発言に、つい朝倉くんの目を睨んでしまった。
顔なんて見たくなかったのに。

オレンジ色の空を肌に映しながら、相変わらず爽やかで優し気な雰囲気。

そこには何も悪気はない。


悪気なく、悪意なく、だからこそ無意識のうちに私たちを攻撃している一番質が悪い人。

「気づいてあげなよ。君にしかできないよ」

「私にしかできないって、あなたが気づいてるなら貴方でもいいんじゃないの?」


知ったかぶる彼を睨む。
けれど私の悪意は彼の善意に跳ね返される。

「好きな相手にしかできない。今も彼の中に潜伏する本音」

気づいてないの、恋人なのに。

朝倉くんはそれ以上言えば私が暴れるとわかったのか、察して尾を引きながら去っていく。


< 168 / 184 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop