アレキサンドライトの姫君
静寂を攘い、響く声に愛称を呼ばれて顔を向けた。
見知らぬ顔立ち。…ではあるが、身につけている礼服でそれが誰だか分かってしまった。
ディルクとは腹違いの弟。第三王子であり王位継承権第二位の…。

「グランツ…殿下?」
「僕をご存知とは…光栄です、姫」

月明かりに照らされたその表情は、どこか歓喜に満ち溢れたように溌剌として見えた。
幼いながらも整った容貌。

「これは貴女の靴ですよね?」

どこかの廊下で脱げてしまった靴を差し出され、エーデルは咄嗟に頬を赤らめた。

「はい。…ありがとうございます」

まさかグランツに拾われるとは思ってもおらず、思わず羞恥に赤面してしまった。
受け取ろうと手を伸ばすと、何故かグランツは渡すまいとするかのように靴を引っ込めた。

「まるであの有名な童話のようですね。この靴が硝子の靴だったら良かったのに」

そう言いながら彼は跪いて靴を床へと静かに置いた。
無言でエーデルを見上げ眼差しで『どうぞ』と促されているのがわかる。
幼いのに紳士的な行為。王子という立場なのに厭わず跪いた彼へ、咄嗟に実の弟の面影を被せてしまった。
エーデルはドレスを僅かに摘み上げて置かれた靴へと足を滑り込ませようとする。その瞬間、足が小さな掌に捉えられて開いたもう一方の手で靴を取り上げると自然な仕草で履かせてくれた。

「美しい足…ですね」

うわ言のように呟きながら、両足分履き終えたというのになかなか離してくれない手に困惑していると、ようやく足先が温もりから解放された。
立ち上がったグランツが半歩エーデルへと歩み寄り、間合いを詰める。
それでも、まだ幼い彼はエーデルの胸下あたりまでしか身長がなく、追い詰められた形とはいえ、思わず弟を思う姉の心境で愛らしさが募ってしまう。

「姫、無礼をお許しください」
「え…?」

戸惑いながら視線を泳がせていると、もう一方の手を取られて手の甲へ口付けられた。
この程度であれば『無礼』とは言わないのに。それはむしろ敬意を払うものであり、尊敬の念を表すものでもある。

「月明かりの下では紫色に輝くのですね…。ああ、なんて綺麗なんだ…」

瞳を覗き込むように背伸びをして必死に顔を近づける仕草も可愛らしく、ついエーデルは微笑んでしまう。

「何故、貴女は人の心を惹きつけるのですか?」
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