アレキサンドライトの姫君
エーデルの部屋に到着しても尚、ディルクはエーデルを横抱きにしたままだった。
何を話したらいいのか分からず両者無言のまま時間だけが過ぎていく。
とうとう居心地の悪い静寂に耐え切れず、エーデルは小さく叫んだ。

「降ろしてください」

要求は冷たい一瞥にあっさり却下され、その左右色の違う眼差しのあまりの冷たさに思わず息を飲んだ。
やがて、やっと身体が降ろされたのは寝台の上だった。
そのまま覆い被されて真上から射抜かれるような視線に思わず身を竦ませた。
己の醜い嫉妬心や怒りから遣り切れずに逃げ出したこと、幼いとはいえ彼以外の異性に弟のような愛おしさを抱いてしまったこと。
責められる要素がありすぎて、エーデルは罵倒されるかもしれないと覚悟をしてきつく目を閉じた。
しかし、エーデルの耳に注ぎ込まれたのは。

「エーデル、すまなかった…」

優しくも切なげな彼の声音だった。

「え?」

予想外の科白にエーデルは目を丸くしてディルクを凝視する。

「私は…貴女を愛しく思う余り、周りのことが見えなくなっているようだ」
「ディルク様…」
「どうか許しい欲しい、私の浅ましさを。ただ、私は貴女を誰にも渡したくないだけだ」

頬に手を添えられ慈しむような眼差しに、複雑に張り詰めていた感情の糸がぷつりと切れた気がした。

「いいえ。謝らなければならないのは私の方です。ごめんなさい…ディルク様…」

熱い涙が冷えた頬を滑り落ちていく。
不安が深くなると信頼が揺らぐーーー改めてそれを感じた。
互いが互いを信じているはずなのに、不安に煽られると呆気なくそれが崩れ去る。
十年という歳月、なかなか会うことも儘ならなかった遠距離…。その間、連絡を取る術もなく、それでも愛を育んできたというのに、二人にまだ足らないものを突き付けられた気がした。

「グランツに触れていたな。私が消毒をしなければ」
「ん…っ」
「心配するな。今日はこれ以上のことはしない。痕をつけるようなこともしないから」

ディルクがエーデルの手を取り、消毒と称した口づけを降らしていく。
ーーーああ、なんて幸せな温もりなのだろうか。
エーデルはディルクの柔らかな髪に手を遣りながら、ただ目の前にいるこの愛しい人を信じようと改めて思っていた。
他人の言動に惑わされてはいけない。
敵なのか味方なのか…それすら分からない多くの人間が巣食うこの宮殿で、ただ心身を委ねられるのはこの方だけなのだ…と。
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