あなたしか見えないわけじゃない
彼の部屋に行く回数は少し減っていたけど、彼との関係は続いている。

あれから同級生や後輩との飲み会の話は聞いていない。
聞く勇気もないし、私も忙しいし踏み込む気はなかった。
そういえば、彼から私と洋兄ちゃんとの関係を聞かれたりしたこともない。
私と洋兄ちゃんはただの幼なじみだし、彼も同級生との関係だって取るに足らない者という意味では同じなんだろう。




中央採血室業務は各科の外来診療が終わるまで待っていなければいけない。
外来診療が遅くまで終わらないのは精神科と循環器内科と整形外科であることが多い。

大抵最後は一人が残って各科の外来事務スタッフかナースからの終了連絡を待つ。

私が残り番だったある日、
「はい。中央採血室、藤野です」
と内線に出ると
「あら、藤野さん。循環器の山里です」
循環器内科の外来ナースの山里さんだった。

「今日は藤野さんが残り番なのね。あと他はまだ外来やってる?」

「いいえ、今日は循環器が最後です」

「じゃ、藤野さんももう終わりよね。片づけしたらこっちにいらっしゃいよ。杉山部長が美味しい紅茶を買ってくれたから」

うれしいお誘いだった。

「はい、ダッシュで終了報告して退勤してきます!」

待っている間に片づけはほとんど終わっている。
業務報告書を外来師長室とICUに提出すれば業務終了だ。

久しぶりの循環器内科外来にわくわくしながら向かった。

「志織ちゃん、久しぶり」
「藤野さんが来るって言ったら、杉山部長が『私もいる』っておっしゃって」
休憩室に入ると杉山部長と山里さんが優しく迎えてくれた。

「ゆっくり話すのは『アレ』以来だね」
杉山部長はそう言って苦笑いする。

「『アレ』ってもしかして伝説の送別会ですか?」
山里さんが笑い出す。

「ご存じなんですか?」
驚いて山里さんを見ると「もちろん。有名よ」と私の分の紅茶を淹れながら言われる。

「どんな伝説になっているんでしょうか……」

「そうねぇ、杉山部長が自分と主賓に高級老酒をご馳走して全員1次会で潰したとか」
はぁ、間違ってはいない。
尾ひれもついてないようだ。
ほっとしていると次の爆弾が落とされた。

「藤野さん関係の話は……」
「藤野さんが杉山部長の頭を撫でたとかデコピンしたとか」
「藤野さんが最後に挨拶するって騒ぎ出して池田先生に止められたら、ぐすりだして結局代わりに池田先生が挨拶させられたとか」
「藤野さんが池田先生の膝枕で寝た挙げ句におんぶされて早川さんと3人で帰ったとか」

ええーっ。
青ざめる。

「あ、大丈夫よ。他の人の話もすごいから」
次に杉山部長の話になった。

私が洋兄ちゃんの膝枕で寝た後、杉山部長が自分も誰かに膝枕されたいと言い出して関川先生の膝枕を試して「硬い」と文句を言ったとか。

二次会で研修医と新人ナースと肩を組んでノリノリでアイドルグループの曲を何曲も歌ったとか。

二次会参加者全員と握手して回ったとか。

「他の人もすごかったみたいよー」
何人かはそのまま山下公園で野宿したとか、帰りに中華街の有名なお店の肉まんを買い占めた人がいたとか。

あれ、いったいどんなお酒だったんだろう…。

「私も記憶が無いんだけどね。あれ以来、私の威厳も無くなってしまったよ」
杉山部長は苦笑した。

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