記憶の中のヒツジはオオカミだったようです!



 驚いて息を吸うために薄く口を開けば、その隙を逃すまいとするかのように腰に腕を回して引き寄せると、唇を深く合わせて開いた隙間から舌を滑り込ませた。
 熱い舌が逃げる雪乃の舌を追いかけて絡ませ、どちらのものか分からない唾液が唇を濡らす。
 キスすら初めてなのに、ディープキスをされて、雪乃の膝から力が抜けた。

「おっと……大丈夫?」

 ずるずると床に座り込むと、しゃがみ込んだ朔が覗きこんできた。その顔に悪びれた様子はない。
 それどころか、数秒前までディープキスをしていたようには見えない。
 羞恥心と動揺で涙ぐむ彼女とは違い、慣れた様子で手を伸ばしてきた朔は雪乃の唇の端を指で拭った。

「だい……大丈夫なわけ……ないでしょ」

 最後の方には言葉が小さくなっていく。自然と唇に視線がいってしまい、自分の唇を手の甲で押さえた。
 
「ごめんね。あまりにも嬉しくて、我慢できなかった」

「こ、こ、こういうことは……恋人同士がするものであって……」

「うん。だから、俺はヒナとそういう関係になりたいってこと。ヒナのすべてが欲しいんだよ。覚えておいて」

 邪気のない笑顔を浮かべた彼は、ポケットから取り出したカードキーを雪乃に握らせると、すくっと立ち上がった。

「じゃあ、いろいろとご馳走さま。明日は、一緒に朝食を食べよう? 走りに行った時にパンとか買ってくるから、七時くらいにそのカードキーで部屋に入っててよ」

『誰が行くか』

 そう言いたかったのに、言葉が出てこなかった。
 ただただ、後ろ姿を見ていることしかできない。
 羊がオオカミに。
 天使が堕天使になって帰ってきた。
 昔とは違う面に、雪乃の心と頭は処理しきれない情報に爆発寸前にまで追い込まれていた。




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