徹生の部屋
それでもまだ食べたりないとばかりに、彼は熱を持った私の唇を何度も何度も指でなぞる。

「俺が、あんなキスとも呼べないようなもので満足すると思っていたのか?」

彼にぶつけた渾身の一撃を、子どものイタズラみたいに言われてしまう。まだ夢心地の私からは、自分でも恥ずかしいくらいに甘ったるい声で文句が出た。

「だったら、なんであのあと追いかけてこなかったんですか」

「キスだけでは済ませられないと思ったから。あの夜も、次の朝も。一度この腕に抱いてしまったら、楓のすべてをもらわずにはいられなくなる」

「それでもよかったのに」

言っておいて、その意味の恥ずかしさに彼の胸に顔を埋める。その頭がゆっくりと撫でられ、「ああ、この手だ」とあらためて確信した。

「それを早く言ってくれ。どれだけ俺がいろいろと我慢していたか知らないだろう?」

我慢? 強引で俺様な完全無欠の御曹司である徹生さんが??

「だって、私は寿美礼さんとの縁談を断るためだけの……」

「たしかに、俺にほかの相手がいる噂でも広がれば願ったり叶ったりだと思ったが、好意も持てない女にそんな役割をさせるはずがないじゃないか。楓はあの町の恐ろしさを知らない」

え? なに……? どういうこと?
恐る恐る顔を上げた私に、徹生さんはか弱い小動物を追い詰めた肉食獣のような笑みを向ける。

「あの辺りではすでに、俺とおまえは婚約して同棲中という認識だ。花火大会の会場に、どれだけ地元の人間が集まっていたと思っている。いまごろはもう、お節介な輩が海外旅行中の両親にまで祝辞を伝えているだろうな」

私がひとり、夢の世界でああでもないこうでもないと右往左往していたときに、徹生さんはものすごく遠い場所から外堀を埋めていたということなのだろうか。
そしていままさに、その囲いはどんどん狭められている。

「いまはまだ祖父母も両親も健在だし、姫華もいる。だが、いずれあの屋敷は俺が相続することになるだろう。だけど楓は、あの家に住みたくはないと言っていたからな。将来的に建て直しするか、壊して更地にしてもいいか、親族会議を開いてから……」

「ダメです! あの建物を壊すなんて、絶対にダメ!!」

彼の浅くV字に開いた襟元に掴みかかった。
あれは重要文化財級の建物だ。そんな勝手な理由で壊されていいものじゃない。

息巻く私に首を絞められているのに、徹生さんはくつくつと肩を震わせて笑い始めた。















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