花の刹那
姫様もご存じかと思いますが、佐野家は、代々、男が少ない家系だそうで。
ええ。
その通り、御屋形様には、御兄弟も、従兄弟もおられませんね。
御屋形様がお生まれになるまで、佐野は深刻な男手不足だったようです。
ところで、御屋形様のお姉様、姫様にとっては伯母様、ですね。
お会いしたことは?
なるほど、りつ様にはお会いしたことがあると。
りつ様は御屋形様の二つ上のお姉様ですね。
では、一番上の伯母様には?
ええ、そうです、信乃様。
ああ、それはないのですね。
仕方ありませんね、信乃様と御屋形様は、15歳も離れておいでですから。
で、あまりにも佐野家に男が生まれないので、その信乃様の旦那様が、いっそ佐野家を継ぐか、という話にもなったほどで。
それは、先代様がいやだと言って取りやめになったらしいのですが。
ああ、先代様というのは、姫様にとってはお爺様にあたりますね。
とにかく、それほど男不足だったらしいのですよ。
それでどうしようもなくなって、こんな話が出たそうです。
「そういえば、佐野の遠い親戚に、桐谷、とかいうのがおったな」、と。
はい。
そうです。
その桐谷です。
ええ、宗次郎殿の。
その桐谷です。
じつは、佐野と桐谷は、遠い親戚なのです。
「……え…じゃあ、私と来は、血が繋がっておるのか…?」
来?
ああ、来香丸殿のことですか?
ええ、そうなりますね。
そういう次第で、桐谷家に白羽の矢が立ったのです。
運良く、桐谷にはちょうど18歳になる嫡男がいて、しかも妻もおり、その妻の腹の中にはお子もおったそうですよ。
その、腹の中にいた子こそ、宗次郎正嗣殿です。
「な、なんと………」
はは、驚かれるのも無理はありませんね。
で、その宗次郎殿のお父上…たしか佳正殿とか言うたかな…とにかく、その方にとっても、佐野の跡継ぎに、という話は、願ってもないことだったそうで。
桐谷は、もともと知行(領地)が少なく、そのせいで、佐野の親戚にのみ特別に与えられる禄(ろく。給料のこと)を貰えないことを、前々から不満に思っていたからです。
この機会に、桐谷をもっと栄えさせよう、と、宗次郎殿のお父上は考えたはずです。
しかし、あくまで遠戚は遠戚。
佳正殿が20歳になっても先代様のお子が生まれなければ、佳正殿を佐野の養子に迎え、跡を継いでもらおう、と。
それから1年が経ちました。
桐谷の奥方が、若子(男児のこと)をお産みになりました。
そうです、その若子こそ、宗次郎殿です。
しかし、宗次郎殿が生まれた2ヶ月後、
佐野にとっては何より喜ぶべきことが、
桐谷にとっては何より恐るべきことが、起こったのです。
すなわち、佐野の奥方様の懐妊。
早い話、佳正殿が20歳になる前に、佐野本家に子どもが出来てしまったのです。
(もしも、若子だったら。若子だったら、桐谷が佐野の跡を継ぐことができぬ!)
と、桐谷家は焦ったでしょうなあ。
しかし表面上は喜ばねばなりませぬ。
心の中では、どうかおなごでありますようにと、祈りながら日々過ごしたに違いありません。
しかし、桐谷は運がなかったのでしょうな。
1年後、無事生まれたのは、立派な若子さまでした。
ええ、その運命の若子こそ、
今の御屋形様なのです。