花の刹那


「十蔵!」

「あ、姫様!」

「あ、よいよい、そのままでよいぞ」


十蔵、と呼ばれた男が片膝をついて迎えようとしたのを、香は手で制した。

ここは、使用人長屋の中庭。
使用人たちが鍛錬を行ったり、趣味で花や動物を育てたりするスペースである。


この男、槙田十蔵(まきた じゅうぞう)という。
佐野家が唯一雇う、プロの隠者である。

有り体に言うと、忍者、というやつだ。

まだ21と年若いが、なんでも伊賀の生まれで、その腕は確からしい。

15の頃から佐野家に雇われ、佐野の内情についても詳しい。

香は、この十蔵にさえ聞けば、すぐに分かるだろうと踏んだのだ。

なにより、十蔵は子どもーー特に香に弱い。
…ということを、香は知り抜いている。

ゆえに、頼めばすぐに口を割るだろうと予測した。


「あのな、頼みごとがあってな」

「は、小生にでき得ることならなんでも」

「本当か!」

「えっ、あの、あまり無理難題は…」

「そんなに難しいことは言わぬ。だから、なんでも言うことを聞くと、まずは誓うてくれ」

「はあ…しかし」

「む、なんじゃ、だめか…??」

「うっっ…」


十蔵は、ぎくりとした。

(もうひと押しじゃな)


「な、頼む十蔵、いいであろ?」

「うう…」

「ねー、お願い!!」

「…そこまで仰るのなら」

「やったー!」


ああ、また姫様にしてやられた気がする、と、十蔵は心の中で思うのだった。


「それで、十蔵はなにをすれば良いのです?」

「なに、簡単なこと。すこし話をして欲しいのじゃ」

「話を…?」

「うん。…佐野と、桐谷の間に、なにがあったのか、教えてくれぬか」

「…!!それは…いえ、姫様、それだけはご勘弁を」

「む、なんじゃとー!?ついさっき、なんでもすると言うたではないか!」

「言うておりませぬー」

「こいつ…いーや言うた!」

「言うたという証拠はございませぬ」

「ぐっ…ふん!証拠といえば、我が耳がなによりの証拠じゃ!お前は、私の耳がおかしいというのか?」

「そ、そういうわけでは」

「それに!武士(もののふ)が一度交わした約束を、そう簡単に破ってよいのか?ん?」

「小生はもののふではございませぬ」

「あっそうか…
では!男が!女と交わした約束を!
そうあっさりと破ってよいのか!
おのれの利害のために、覆してよいのか!
どうなのじゃ!!」

「うっ…」

「ここで何も言わぬのなら、お前の男としての信頼は地に落ちるぞ」

「…………わかりましたよ、わかりました。言います」

「ふふふ、最初からそうしておればよいものを」


香は、にやりと笑った。


「…姫様、聞くのはよろしゅうございますが、聞いたあとに後悔されませぬよう」

「??どういう意味じゃ」

「御屋形様から、姫様にだけは言わぬようにと、仰せつかっておりまして…」

「え、そうなのか?…まあ、大丈夫じゃろう。うん、誰にも言わぬ」

「は、それでは。…今から、おそらく20年ほど前になります。佐野は、桐谷と跡継ぎを巡って、一悶着あったのです」
< 12 / 14 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop