魅惑への助走
 「どうぞ」


 程なく上杉くんのアパートに到着し、ドアを開けて案内された。


 「お邪魔します……」


 恐る恐る靴を脱ぐ。


 帰り道、煙草の話が全く出なかったのが怖い。


 絶対見られていたはずなのに。


 これまで一度も吸う気配は見せていなかったから、大なり小なり驚きはあったはず。


 なのに何も言ってこないのが、私を不安に駆り立てる。


 「……明美?」


 飲み物を用意しようと冷蔵庫のドアを開けた上杉くんに、背後から抱きついた。


 勢いのままにキス。


 「ど、どうしたのいきなり」


 突然の事態に戸惑う上杉くんに有無を言わさず、唇を奪う。


 待っている間ずっと飴を舐めて、煙草の気配を必死で消したものの、まだ残っているかもしれないので、舌を絡めるキスはしない。


 上杉くんはペットボトルを掴んだ手を離し、冷蔵庫を閉め、代わりに私を強く抱き返してくれた。


 そうなるともう衝動は止まらなくなり。


 「いい?」


 これだけで、私の求めるものは分かってくれるはず。


 なのに。


 「ごめん。ここではだめ」


 拒絶された。
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