魅惑への助走
 「……出かけてくる」


 たまらず私はコートを手にした。


 「イヴだというのに、今宵も撮影ですか。売れっ子女優さんはやはり違うんですね」


 すごく皮肉っぽい口調で言われる。


 「関係ないでしょ。……第一こんなおぞましい私と、もう同じ部屋の空気なんて吸いたくないでしょ?」


 出て行く前に振り返り、一言言い放った。


 上杉くんは口調とは裏腹に、とても悲しそうな目をしていて……。


 そして私は静かにドアを閉じて、外に出た。


 イヴの夜は晴れていて、星や月が皮肉なくらいに綺麗だった。


 やがて人通りの多い街角までたどり着く。


 時節柄、カップルの割合が多い。


 誰も彼も幸せそうで、こんなつらい気持ちを抱えたのはきっと私くらい……。


 これでよかったんだ、と思う。


 あのまま部屋で言い争いを続けたら、売り言葉に買い言葉で、きっとさらにひどいことを口走ってしまったと思う。


 お互いもっともっと傷付け合うような。


 そして思い出も消し去りたくなるくらい憎み合って別れていくくらいならば、今のうちに離れたほうがいい。


 まだ……完全に憎んでしまうほどまでは至っていないはず。
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