魅惑への助走
 ところが。


 「……」


 なぜだろう、体はこんなにまで感じているのに。


 心の奥底まで、官能の波が押し寄せない。


 どこか覚めたまま、意識を手放せずにいる私がいる。


 「どうした?」


 葛城さんに気付かれた。


 私が心の底から感じてないことを悟られた。


 「……ごめんなさい」


 気付かれたのならば、これ以上演技するのも無駄だと思い身を起こした。


 今まで一度も夫からの誘いを断ったことなどないのに、この夜はどうしてもその気になれなかった。


 「体調悪いんじゃないのか。さっきも顔色が青白かったし」


 「……実は昼間、軽く熱中症になったみたいで」


 「えっ、倒れたのか?」


 「いえ、軽度だったから塩分補給して、安静にしていれば大丈夫だと」


 「そうか……。残念だけど今日は大事を取ったほうがいいな」


 葛城さんは私をそっと抱きしめ、身を引いてくれた。


 「本当にすみません」


 「続きはいつだってできるから。……これはスポーツ以上に体調を万全にしてやらないと、十分に楽しめないことだから」


 優しく髪を撫でられたけど、胸が痛む。


 葛城さんを拒んでしまうなんて。


 熱中症の後遺症もあるけれど、それより佐藤剣身との再会が想像以上に私を動揺させている。
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