臆病者で何が悪い!
「昨日、仕事を途中で放って出て来たから、少し片づけて来る」
少し早めに朝起きると、すぐに出かける支度をした。
「うん、分かった」
ベッドから眠そうな顔をした沙都が身体を起こす。
「……本当に、大変なんだね。係長って」
ジャケットを羽織っていると、背後から沙都の声がした。
「まあ、今までよりはってだけだ。おまえだって、数年経てば係長になるんだぞ」
「生田を見てたら、なりたくないって思うよ」
振り返りざまに答えると、沙都が苦笑した。
こんな風に、普通に過ごして行けばいい。
余計なことを考えずに、悲観的にならずに。それでいい――。
一日経って、少し気持ちも落ち着いたのかもしれない。
そう、自分に言い聞かせた。
「じゃあ、行って来る」
ベッドの上にいた沙都に顔を寄せる。そして、その頬に手のひらをあてた。
「あのっ」
沙都の頬から手を離し玄関へと向かおうとすると、沙都が慌てたように立ち上がろうとしていた。
「見送りはいいよ。まだ早いし、寝ていろ」
そう言って沙都を制止すると、躊躇いがちにその唇が開く。
「仕事、どれくらいで終わる? 一日かかりそう?」
「ああ、半日あれば。昨日の続きを片付けるだけだから」
本当なら土曜の午前中で終わらせて、その後の時間は空ける予定にしていたのだ。
田崎からの電話で、その計画が狂っただけのこと。
「なら、お昼一緒に食べようよ」
沙都の目が俺を見上げて来た。
「ああ、じゃあ、そうするか。たまには外で食う?」
「うん! 昼頃、日比谷当たりで落ち合おうか。仕事終わったら連絡して」
何故だか沙都が嬉しそうに満面の笑みを向けて来て、それに面喰った。
ベッドに座り込んで俺を見上げて来る姿が、まるでご主人を見送る犬みたいで。
「じゃあ、後で」
つい、上に下に飛び跳ねている沙都の寝ぐせのある髪をくしゃっとした。
中途半端に放り出した仕事を、とりあえず区切りのいいところまで片づけよう。
自分の席に着き、コートを脱いだ。
『添付資料を作成したので、目を通しておいてください』
机の上に置かれた部下からのメモを手にして、誰もいないフロアで一人苦笑する。
不自然極まりなかっただろうな。突然すっ飛んで帰ってしまったんだから。
少しでも早く終えるように、目の前の書類と格闘した。
「生田!」
日比谷の地下鉄の駅入り口付近にたどり着くと、もう既に沙都はそこに待っていた。
俺を見つけた途端に笑顔になって、手を挙げた。
「待たせた?」
「ううん。久しぶりにぶらぶらして買い物してた」
そう言って手にしていた紙袋を俺に見せる。両手ともにどこかの店の紙袋で塞がっていたから、それを俺の手に取った。
「随分買い込んだな」
「あ、いいよ。自分で持つから――」
ったく。俺の意図を汲み取れよ――。
「黙って持たせとけばいいの」
「あっ……」
沙都の空いた手を握りしめる。
「分かった?」
「は、はい……」
指と指の間に俺の指を滑り込ませながら、沙都の顔を覗き込む。
手を繋いだくらいで、そんなに照れることないのに。
いくら抱き合っていても、こういうことの方が照れる、ということもあるのかもしれない。
「なに。手を繋ぐのなんて久しぶりだから、恥ずかしい?」
「べ、別に、手を繋ぐくらいでそんなこと、ない、ですケド」
そう言って俺から顔を背けた。
言ってることとやってることが矛盾だらけですけど。
俺はその手に力を込めた。