臆病者で何が悪い!
月曜日の朝、実家から出勤した。ちょうど持って出て来たバッグに、職員証やそのほか必要なものは入っていた。服装も、実家に置いてあったものを適当に着てしのいだ。
いつもと違う電車と車窓の風景に、そのまま職場ではないところに行ってしまいたいという衝動に駆られたけれど、社会人としてそんなことできるわけもなく。満員電車の中で、無理矢理にスマホを取り出し見つめる。ディスプレイは真っ暗なままだ。充電器を持っていなかったから、電源が切れてそのままになっている。
ちょうどよかった――。
そんな風に思う私は、相当に卑怯な奴だ。充電なんて、しようと思えばどうにでもなる。だから自分の意思でそうしなかったようなものだ。
声を聞くのも、顔を合わせるのも辛い――。電車が目的地に近付くにつれて、胃の中のものがせりあがってくるような感覚になる。
本当に子供じみている。こんなことしたって、完全に逃れられるわけでもないのに。職場が同じである以上、どうしたところで顔を合わせるんだから。その場しのぎの幼稚な行為。それも、全部分かっている。それでも、少しでも逃げていたかった。
始業時間ギリギリに着くように職場に向かう。そして、9時ちょうどに課室に足を踏み入れた。なるべく周囲を見ないように、俯き加減で自分の席に着く。そのおかげで、生田の顔を見ずに済んだ。
「内野さん、おはよう」
「お、はようございます――」
その声で思い出した。金曜日の夜、田崎さんと話しをしたということ。そんなことすっかり忘れてしまっていた。思い出したところで、余計に憂鬱になるだけで。決してそちらに顔を向けないでいた。
それにしても――。普通、転勤や出向の人事というのは、公に発表されるまでは本人以外知ることはできないはずだ。住居の変更を伴うから本人には前もって告げられる。でも、その際固く口留めをされれいるはずなのに。どうして、田崎さんは知っていたのか。一体、どれだけ生田のこと観察してるんだろう。その執念は私の想像をはるかに超えているのかもしれない。
「生田さん、ちょっといい?」
その声に、勝手に身体が反応する。大袈裟なほどに肩がびくついた。背後で、課長の声と「はい」と答える生田の声がした。
当然だけれど、同じ空間に生田がいる――。それだけで、身体中が緊張で強張る。嫌な汗まで流れだして。不意に苦しくなる。分かっていても、このありさまだ。
「……内野さん、大丈夫?」
「大丈夫です。なんでもありません」
隣に座る田崎さんにまで気付かれるなんて。最悪だ。痛いほどに隣からの視線を感じて、私は思わず席を立った。そして、その場から逃げるように廊下へと掛けて行く。慌てて飛び込んだ女子トイレで、胸を何度もさすった。
落ち着いて、落ち着いて――。
職場である以上、生田は私に何も言って来られない。それどころか、特に何も気にしていない可能性だってある。私さえ落ち着いていれば、何も問題はない。そう心の中で何度も唱えた。深呼吸をして深く息を吐いて、自分を落ち着かせる。そして、両頬をパンっと叩いた。
しっかりしろ――!
鏡に映る自分に喝を入れて、女子トイレの扉を開けた。
誰もいない廊下を踏みしめるように歩く。そして、次第にその歩幅を広げ、背筋を伸ばして前を見た。仕事中だもん。ちゃんと、仕事をしよう。仕事のことだけ考えるのだ。無理矢理にでも自分にそう暗示をかける。そうでもしないと、生田と同じ部屋で過ごすなんてことできない。
大丈夫――。
いつ崩れ落ちたっておかしくない自分を奮い立たせて自分の席へと戻ろうとしていたのに。