彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~
え?お母さん?
今、お母さんって言った?どう見ても高橋を産んだような年ごろには見えないんですけど!

でも、お母さんってことはTHコーポレーションの社長夫人!
私は慌てて何となく高橋から一歩離れてお辞儀をした。

「良樹ったらこっちに帰って来ているのに実家に顔を出さないってどういう事なの」

「いえ、顔は出しましたよ。それに寝泊りは実家よりホテルの方が気が楽だからです」

「まぁ、ひどい」

母と息子の会話を聞くのも気が引けてすっと離れようとした。

「あら、あなた」

どうやら私が動いた事で社長夫人の目に入ってしまったらしい。

「お世話になっております。社長の第2秘書の谷口と申します」
ぺこりと頭を下げた。

「ね、あなた、アクロスにいた子よね?私の事覚えてないかしら?」

そう言われてお顔をまじまじと見た。こんな美人に出会ったことがあったかな。

「あ!」

「そうよね、あの時のお嬢さんだわ。まぁ、また会えて嬉しいわ。あの時はお世話になってしまって」

にこにこしながら私の手を握ってきた。
まさか、あの時の美人さんが高橋のお母さんだったとは。

「何だよ、どこで会ったんだよ」
高橋が眉間にしわを寄せる。

「本社の近くで…。」

あれは数年前の暑い夏の日だった。
神田部長のおつかいであちこちに出かけた帰りに本社近くの歩道で気分が悪そうにしている女性を見つけた。

どうやら軽い熱中症のようだった。
会社はすぐそこだったから、私は日傘を彼女に差しながら支えながら会社のエントランスにあるソファーに誘導した。

社内はエアコンが効いていて涼しく、1階のカフェでミネラルウォーターを買って氷とビニール袋をわけて貰い、彼女首の後ろを冷やしていると、落ち着いてきたようで少しだけ会話ができるようになった。

彼女はわが社のエントランスホールでご主人と待ち合わせをしていると言った。

「麻由子さん!」

しばらくすると背の高い男性が正面玄関から小走りでこちらに向かって来るのが目に入った。

「あら、ご主人が見えたようですね。よかった。じゃあ、私はこれで失礼します」

駆け寄ってきたご主人とすれ違うときに「お大事に」と声をかけて私は急いで自分のフロアに戻った.
勤務中の私はあまり長い時間デスクを開けるわけにいかなかったから。
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