a bedside short story
4th.Aug. 風鈴
今日は一番下から抜いてみた。

風鈴だ。
『涼』と書かれた短冊が、風に揺らめいている。


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仕事帰り、歩道の工事をしていたから、普段より一本左の道を歩いていた。
すると。

――――……
―――――……

涼しげな音に、無意識に足が止まる。
風鈴の音。
それもこの音は……

音をたどって、私は家とは違う方向に足を進めた。

――――……
―――――……

音が聞こえるたびに、勝手に足が速くなる。
音の正体を確かめたかった。
初めて聞いて、鳥肌が立った『あの時』の音に間違いない。


たどり着いたのは、一軒の古書店の前。
軒下に下がっているそれを見て、私は想い人に会ったような感動を覚えた。

「やっぱり……!」

言葉では表現できない、透き通った音。
その音を奏でていたのは、空色の薩摩切子の風鈴だった。

「どうかされましたか?」

古書店から、おじいさんが杖をつきながら出てきた。
突進するように来たから、怪しまれたのだろう。
私は温まって赤くなった顔を更に赤くして、頭を下げた。

「驚かせてしまってすみません。私、薩摩切子の風鈴の音が大好きで。音をたどって来てしまったんです」
「そうでしたか。そんな方が来たと聞いたら、アイツも喜びますわ。少し、お待ち下さい」

なぜか待つように告げて、再びお店に入っていったおじいさんを怪訝に見送りながら、私はまた風鈴に向き直る。


昔、私がまだ高校生だった頃、3つ上の兄貴に連れていかれた風鈴市。
そんな洒落た人間ではなかった兄が、なぜ風鈴市に誘ったのかと言えば、年上の彼女と行くためのデートの下見だったのだけれど。

兄が喫茶店やフォトスポットを確認している間、私はおびただしい数の風鈴を呆気にとられながら眺めていた。
ブリキのもの、盆栽が載ったもの、陶器のもの、音階を鳴らすもの……風鈴と一言で言っても、これだけの種類があると知りとても驚いたのを覚えている。

道の真ん中に張り巡らされた梁の下を潜りながら、吊るされた風鈴が奏でる涼やかな音色の雨を浴びる。

――――……
―――――……

そして。
不意に、『あの音』がした。
周りの風鈴ももちろんキレイな音を出していたが、その音は格が違った。
瞠目し、足を止めて聞き入っていた私に、近くにいた係りの人が薩摩切子の音だと教えてくれた。
お嬢さんお目が高いね、と。
その言葉に疑問を感じてふと値札を見ると、五万だとか七万だとか、世界の違う数字が並んでいた。
でもその時妙に納得したのだ。

この音には、それだけの価値がある、と。



「お待たせしました」

思い出に意識が持っていかれていた私は、聞きなれない声に我に返り、そちらを見た。
古書店から出てきたようだ。
少し年上そうな眼鏡のお兄さんが、私を見ていた。
突然の登場に、
お待ちしていませんが
と首をかしげて言いかけたが、お兄さんのほうが合点がいったように言葉を足した。

「薩摩切子の風鈴がお好きだと、祖父に聞きまして」
「あ、さっきの方の、お孫さんなんですね。……そうなんです。この音を昔風鈴市で聞いて以来、ずっと虜なんですよ」
「そうでしたか。祖父に、是非ご挨拶してこいと言われまして」

くすり、と小さく、けれど綺麗に笑うお兄さん。

「実はこの風鈴、私が作ったものなんです。夏休みなので里帰りしているのですが、いつもは鹿児島の工房に居ます」
「そうだったんですか! この音を作り出す方にお会いできたなんて、凄く光栄です!」
「大袈裟ですが……、そう言っていただけるのは嬉しいですよ」

にっこりと笑うお兄さんは、穏やかな声でこう続ける。

「来週いっぱい、家に居ます。小さいものですが、一通り機械も揃っています。――どうですか? ご自分で作ってみませんか?」
「はい! 是非!」

首が切れんばかりにうなずいて、次の土曜日にお邪魔する約束をした。

帰る足取りは、来た時よりも更に速く軽く。
憧れの音に触れられることと、もう一度お兄さんに会えること、2つの期待に胸が踊った。

次は、目一杯、おしゃれしていこう。


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残り、あと27枚。




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