これを愛と呼ばぬなら
「ごめんなさい、今日は用事があるので」

 パッと頭を下げ、その場を去ろうとした瞬間、左手首を高橋さんに掴まれた。途端に頭が真っ白になり体が固まってしまう。

「またまたぁ。今日は駒井さんもいないんだし、遠慮する必要ないでしょ」

 掴まれたままの腕に視線が吸い寄せられた。

 いつかの光景が、頭を過る。のしかかる体、荒い息。忘れたくても忘れられない光景がフラッシュバックする。

 せり上がる恐怖で呼吸が苦しくなり、視界が霞んだ。

「い、いや……」

「何やってんの高橋!」

 何とか声を絞り出そうとしたその時、エレベーターホールの方から女性が叫ぶ声がした。

「げっ、鷲尾さん」

「手、離しなさい。嫌がってるじゃない!」

「えっ?」

 つかつかと足音を立てて歩み寄る女性を見て、高橋さんが手を離した。

 ……よかった、離してくれた。ホッとして詰めていた息を吐く。

「ちょっとあなた、大丈夫?」

 心配そうな顔で、見知らぬ女性が私の顔をのぞき込む。

「は……い」

 なんとか返事をしたところで、私の世界は暗闇に包まれた。


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