Real Emotion

ほんの何十センチ、ハンドルの位置が違うだけなのに
こうも感覚が違うものなのか、と緊張しながら
恐る恐る車を走らせていた私は会話をする余裕などなく
運転に集中していた。
大通りに出て速度を上げ走行の流れに乗ったところで
肩の力が少し抜けた。


「驚いたな・・・」



独り言とも取れる隣の久野の呟きにどう答えていいものかを迷いながら
黙って次の言葉を待つことにした。


「まさか君とこんな形で再会するとは」
「え?!」


思わず隣の久野を見た。「前を見ろ。運転中だぞ」と言われて
慌てて向き直った。


「気付いてたの?!」
「当然だ」
「だってそんな素振り、全然・・・」
「あの場でそういう素振りをした方がよかったか?」
「いいえ」
「だろう?」



クスクスと楽しそうに笑う声はあの夜と同じだった。



「心配するな。情事を他人にひけらかすほど無粋じゃない」
「当然です!ホントにもう・・・こんな事になるなら、なかったことにしたいくらい」
「それができたら、人間は後悔と反省をしなくなるだろうな」



そんな話をしてるわけじゃないけど、なるほどね。その通りかもしれない。
って納得してる場合じゃない!



「と、とにかく!いいから、忘れてください」
「それは無理だ」
「どうして!」
「なぜ忘れなければならない?」
「わからない?これから上司と部下として仕事をするのよ?」
「何だ、そんな事か」
「そんな事って!」
「つまらない事じゃないか。あの夜に比べたら」
「比べるとか、比べないとかそういう事じゃないでしょう!!」

「素晴らしい夜だった・・・」



何かに陶酔しているように深いため息で締められた一言に
全身がかあっとと熱くなった。ドキドキと跳ねる鼓動が
平常心と判断力を奪っていく。このまま運転するのは危険だと焦った私は
左折して通りの少ない閑静な住宅街へ入り、路肩へと車を寄せた。
それを咎めるでもなく問うわけでもなく、隣の男は静かに話し始めた。


「格好をつけて名刺を置いてきたのはいいが
あの日から携帯は片時も離せなくなった。
君からの着信に気付かなかったらと思うと眠る事さえ惜しいと思った。
こんな事なら君の連絡先を聞いておくべきだったとどれほど後悔したことか。
しかしまあ、後悔したところで見事に振られたわけだしな。
あの状況では無理も無いが・・・
慣れない事はするものじゃないという事だな」

「振られたなんて!そんな。あの、違うんです。・・・ごめんなさい」
「何も謝ることはない。振られた腹いせに仕事でこき使う、なんて事はしない。安心しろ」
「当然です!そんな事したらハラスメントで訴えますよ?って、そうじゃなくて・・・あぁもう!」


そんな事が言いたいんじゃないのに!
思いが上手く言葉にならないのがもどかしくて膝の上で拳を握りしめた。
その拳を彼の掌がふわりと包んだ。


「でもこれだけは信じて欲しい。俺は遊びで女は抱かない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「だって・・・すごく慣れてる感じがしたわ」
「あの日は、君がいけない」
「私が?」
「あまりに魅力的過ぎて、どうにも抑えきれなかった」



耳元に蕩けそうに甘く囁かれて眩暈がした。
車を停めていてよかった。これが運転中ならどうなっていたかわからない。



「先回は俺の負けだったわけだが、こうして再会したのも何かの縁だろう。
その縁に免じてもう一度君に挑むチャンスを貰えないだろうか?」

「私・・・わからないわ。
貴方のような人にどうしてそこまで思ってもらえるのか、分からない」



エリートで背も高くてイケメンで女性の扱い方もスマートなこの男なら
相手など選り取りみどりだろうし、第一、女の方が放っておかないはず。
そんな人がどうしてこんな普通で地味な私に
これほどまで思い入れるのか不思議でならない。
ご馳走ばかり食べているとお茶漬けが食べたくなる、というアレだろうか・・・。



「あの夜の君は 見かけはクールな大人の女に見えた。
遊びもスマートなのだろうと思って、俺もそれに倣うことにしたんだ。
でもホテルへの道中やベッドでの君は、遊び慣れているとはとても思えなかった。
初心で素直でとても愛らしかった。だからどうしてこんなことをしているのかが
とても気になった。君にまた会いたいと強く思った。もっと君を知りたいとも思った。
色んな君を。何をどう感じてどんな風に笑うのか、どんな風に嘆くのか。君の隣で見ていたいと」


熱烈なラブコールに心臓がどきどきと忙しなく跳ねて
ひっくり返ってしまいそうだった。ものすごく照れるけれど同じくらい嬉しい。
とても魅力的な申し出に二つ返事といきたいけれど
この人の正体を知ってしまった今は恐れ多くて
とても軽々しく「ハイ、よろしくお願いします」とは言えない。
やはりここは分相応に辞退しておくのが懸命だ。



「私を知ったところで、がっかりするわ。ごく普通のつまらない女だもの」


その証拠に元カレには浮気ばかりされていたのだから、とはさすがに言えなかった。


「俺にとっては特別で最高の女かもしれない」
「買いかぶりだわ、それ」
「そうか?俺の人を見る目は確かだと思うけどな」
「私って面倒くさい女なの。やきもち妬きだし独占欲も強いし。呆れるわ、きっと」
「いいじゃないか。面白いから検証してみよう。盛大にやってくれ」
「絶対に鬱陶しいと思うようになるわ」
「思わないかもしれないぞ?」
「がっかりされたくない」
「しないかもしれない。逆に自信がついて思い上がる可能性もある」
「まったく。ああ言えばこう言う!なんて人なの?!」
「ああ、言うさ。俺もまぁまぁ面倒くさいからな。執着心も強くてあきらめも悪いんだ」
「もう!!・・・勝手にしてください」


本当にどうしてこれほど見込まれてしまったのか。
とびきり極上な男には違いないけれど手強いというか何と言うか。
これから先が思いやられる。


「納得してもらえて何よりだが・・・そろそろ車を出してもらえないだろうか」


約束の時間に遅れそうだ、と隣で悠長に笑っているけれど
そんな場合じゃないと思うのは私だけ?


「それならそうと早く言ってください!」


叫んで慌ててエンジンをかけようとした私の首の後ろに
すっと差し込まれた手に頭を取られてキスをされた。
いきなりなのに、あまりにも当たり前の様にされたから
呆気に取られてしまって抗うことさえできなかった。
私がフリーズしているのをいいことにキスが深く傲慢になった。
彼の指先が膝頭を撫でスカートの裾に潜り込もうとしたときに
ようやく正気に戻った。


「なにをするんですか!」
「勝手にしていいんだろう?」



言ったのは君だぞ、と不敵に笑うこの男に
私はどこまで対抗することができるだろうか。


「お言葉ですが・・・こんなことをしている場合ではないのでは?
車、早く出した方がいいんでしょう?」
「そうだな。あと15分しかないからな」


私は やれやれ、と大きな息を吐いてエンジンをかけた。


「急ぐのは結構だが制限速度は守れよ?」
「・・・はい」


篤の時とは別の苦労をしそうだなと思いながらも
少しだけワクワクした気持ちで私はアクセルを踏んだ。

< 11 / 15 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop