Real Emotion

翌朝、目が覚めて、何か変わったかと言えば
何も変わらない日常があって、何も変わらない自分が居た。
別にどこも痛くないしお腹もすいている。
鏡に映る姿にも変わりはない。
元々会えない時間の方が長かった付き合いだ。
毎日の生活にさほど影響はない。


なぁんだ。別れたって、たいした事ないじゃん。


別れた後の喪失感や悲壮感のあまりにも無い事に自嘲して
いつもより少し早く出勤し、バックの中の小さな紙片をシュレッダーにかけた。



「こっちも・・・ サヨナラ」



待っている、という言葉にときめいたのは事実だけれど
あんな出会いだ。彼は私を割り切りの良い遊び馴れた女だと思っただろう。
だからこそ 「待っている」 のだ。
でも残念ながら、私はその期待に応えられるような女ではない。
あの夜は勢いであんな事になったけれど、なんとなく罪悪感と後悔があるのは
元々恋を遊びと割り切って楽しむ器用さなど持ち合わせていないからだ。



「慣れない事はするものじゃないわね・・・」



本当に別れの辛さを実感するのはこれからだと思う。
それは日が経つにつれじわじわと大きくなり
じくじくとした痛みをも伴って増していくだろう。
恋の痛手は恋で癒せと言うけれど
今の私に「はじめまして」で始める恋をするパワーはない。
幸い私には打ち込める仕事がある。
航空会社での人材開発の仕事は大変だけれどやりがいがある。
しばらくは仕事一筋で生きるわ、と気合を入れたのに
その気合をそがれるような事件が起こった。



会社の一部の上層部による横領疑惑が大々的に報道されたのだった。



ここ数年、大事には至らないまでも操縦士の凡ミスや整備不良などが続き
評判も業績も右下がりだったが、誠意ある謝罪と対応と
徹底した再教育でなんとか乗り切ってきた。
でも今回の事件はそうはいかない。
しかも内部告発とあっては取り繕うこともできない。
”疑惑”の二文字が取れるのも時間の問題だ。


即座に株価が下った。
顧客からの信頼は言うまでもなく業績も下がるのは必至だ。
今以上に業績が下がるような事があれば会社の存続すら危ぶまれる。
ここ数年、収益は赤字こそ免れていたけれどギリギリだったのだ。
倒産だの吸収合併だの、そんな噂を書き立てる週刊誌も出始めた。


事態を重く見た会社サイドは大幅な経営改革をすべく
コンサルタントを雇い入れ対策室を設けた。


社内にはピリピリと張り詰めた空気が流れ
社員は部署の移動や減給や中にはリストラに怯えだす者も出始めた。
とても意欲満々仕事に精を出せる雰囲気ではない、とため息が零れた。


それでも何もお達しがない内はルーティンの業務はこなさなければならない。
人材開発部門にいる私にはこれからが本番の採用の仕事がある。
企業説明会の日程や調整等、やることは山ほどあるのだ。
こんな状況だからウチを希望する学生は少ないだろう。
だからこそ私たちが頑張って良い人材を獲得しなければならない。
企業は人なり、なのだ。
ため息などついてはいられない。よし!と気合を入れたその時だった。



私は上司に呼ばれ、対策室へ配属になったことを知らされた。
中堅社員から4、5名が選抜され
とりあえず向う3ヶ月間コンサルタントと共に仕事をするのだという。



「ウチの部署からは君に決定したんだよ。よろしく頼む」
「私ですか?!」



嫌とはいえない宮仕えの切なさを感じるのはこういう時。
せっかく次の仕事への準備を始めていたというのに・・・。



「ウチとしても今 君を取られるのは痛いんだけどな。
ウチからは渉外に長けて事務処理能力の高い人物をという事だから・・・まぁ頑張ってくれたまえ」
「はあ・・・」
「今日の午後イチで召集がかかってるから、A1会議室へ行くように」



上手い言葉を隠れ蓑にして厄介ごとを押し付けられたような気がしないでもないな、と
へこみそうになる気持ちを何とか持ち上げて向かった会議室で
私は思わず声を上げそうになった。


正面の椅子に腕組みをして座る彼は紛れも無くあの夜の 久野 という男だったから。


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