恋の人、愛の人。
「おはようございます」

「おはよう…」

こちらから挨拶した。当然といえば当然。いい声…今日も落ち着いた声だ。
廊下で部長とすれ違った。ほぼ毎朝といっていいくらいこうして会って挨拶を交わしている。通勤パターンが一定で変わらない、私と同じタイプなのかも知れない。
今朝も変わらず穏やかでダンディー…。安定の癒しだ。変わらぬ日常…今朝は特に救われた気になった。

「おはようございます!」

「あ、お…おはよう。ってね、黒崎君、…ちょっと貴方ね…」

黒埼君…。いつもと変わらない。普通に挨拶されて逆に動揺しているのは私だけって事?…。昨夜の出来事は幻だったとでも言うの?

「あ、すみません。ここでなんなんですが、この書類、ちょっとお願いしたくて」

鞄から書類を出している。平然と仕事モード?

「え?あ、はいはい。大丈夫よ、えーっと、いつまで?急ぎなんでしょ?」

動揺してる私が可笑しいのか…?んー。

「いつでも?…はいこれです」

ファイルを渡された。

「はい?」

いつでも?聞き間違い?

「ここの中のモノ、見てくれたら破棄していいですから。“原本”は俺が持ってるんで。…昨夜は有り難うございました」

「あ、ちょっと、その事…え、破棄?え、何、どういう事?だったらなんで…」

今ここで渡さなくても。
渡されたクリアファイルには、挟み込まれた書類というより、用紙は真っ白だった。

「あ、それ、一応言っておきます。取り扱い要注意ですから。人前で見ない方がいいですよ?」

え?…何。そんな重要なモノをこんなところで。人前で見ない方がいい書類ってどういう代物?…。
黒埼君はもう離れていた。…もう。

言う通りなら気をつけなくちゃね…。捲ってみた。
中の紙は一枚ではなかった。用紙は…三枚?
一枚目に何かうっすらと透けていた。捲った。
…あっ、え!何…これ…。え、え?
思わず戻してきょろきょろした。

「ちょっとー!黒埼君…」

遠くなりかけていた黒埼君を呼び止めて小走りで追い掛けた。

「何ですか~、折角廊下で渡したんだから、追い掛けて来ないでくださいよ~」

「何言ってるのー!待ちなさい。書類って、こ、これって…何、ちょっと、待ちなさい!」

追い掛けて追いついて、早足で横に並びながら突き付けた。

「何これ、どういう事?」

「写真?」

「そんな事は見れば解る…合成?ねえ、これ合成よね?」

…そうよ。こんなモノ、よく出来た悪戯よね?

「合成?違いますよ。そもそも作りたくても今まで元になる物がないじゃないですか。事実ですよ、事実。これは、そのままを撮った物です」

え、あ…じゃあ…これは。昨夜か…今朝か。…朝までのどこかでって事だ。…嘘。

「ちょっと。とって喰わないって…言ってたじゃない」

「そのくらいは、喰った内には入りませんよ。いや…状態は喰ってるって言うのかな~。確かに喰ってますね、パクッと」

………。何をさらっと言って除けてるの…。喰ってるですって?
ファイルに挟み込まれていた物は、寝ている私に黒埼君がキスをしている写真だった。所謂…自撮り?
唇が見事に交差して合わさっていた…。これをパクッとだなんて。確かに…パクッとだけど……。わざわざプリントなんかして来て…。

「じゃあ、本当なの?…これ」

「はい」

「…はいって。もうこんな…いい加減にして!」

どうして……この困惑…どう表現したらいいのか解らない。

「はい。いい、加減に、出来ました。そして撮っちゃいました。角度、いいでしょ?
ファーストの記念です」

ファーストって…。

取り出してぐしゃぐしゃにして棄てた。

「んあ゙、あー…酷いな…。最高の被写体、いいアングルだったのに…」

「ふざけないで、何言ってるの…酷いのはそっちでしょ?…何、勝手にしてるのよ…。大人しくしてって、言ったでしょ?」

ま、原本はあるんで、と言い、フロアに逃げ込む後をまた追い掛けた。

「ちょっと待ちなさい!消しなさい。まだ話は他にも…色々あるんだから!」
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