あの日みた月を君も
その日は年甲斐もなく、浮き足立っていた。

仕事にもなかなか集中できない。

時折社長から、「どうした?」と聞かれた。

こんなことではいけない。

もうすぐ研究部長に昇進する身でありながら、こんな浮ついた気持ちで仕事なんかしていたら。

そうこうしている間に時間は刻々と過ぎ、退社の時刻を迎えた。

いつもなら残業しているけれど、定時少し過ぎに机の上を片づけ始める。

前に座っていた部下の1人が顔を上げて、目を丸くして言った。

「珍しいですね。課長が早めに帰られるなんて。」

「たまには早く帰ることだってあるさ。」

「あのかわいい奥さんと水入らずかな。羨ましいです。」

部下は冷やかすような顔で笑った。

そういう理由で早く帰る訳じゃないことに、後ろめたい気持ちになる。

「じゃ、お先に失礼するよ。君も早く帰れよ。」

「はい。お疲れさまです。」

部下は礼儀正しく起立すると、一礼した。

いい奴だ。

その部下は、入社3年目の平ミチオといった。

いつも真面目で、でも、ユーモアもある信頼出来る部下の1人だった。

新設される研究部にも部下として引っ張って行くつもりだ。

ビルの外に出た。

少し肌寒い。

手に持っていた上着を羽織った。

腕時計に目をやると、待ち合わせまでまだ1時間はある。

会社の最寄り駅で待ち合わせるのは気がひけたので、僕らの大学のある駅で久しぶりに待ち合わせることにした。

会社からも離れているし、さすがにここで知り合いの誰かと遭遇することはあり得ないと思った。

大体、やましくないのならそこまで計算する必要はないとも思うけれど。







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