愛され婚~契約妻ですが、御曹司に甘やかされてます~
立ち上がり、伊吹を見下ろす。

「取り返しがつかない事態?」
「はい。たとえば、長澤さんの元へ向かわれたとか」

彼の名前が出てきて、カッとなる。
きっと伊吹は面白がっている。彼の無表情な顔の裏にある表情が、わかった気がした。

「今ならばまだ、近くにおいでるかと思います。どうされますか」

港から離れた船を降りて外に出るには、送迎ボートに乗る必要がある。船を降りることはできない。
だが広い船内で、彼女を見失うことは容易だ。

伊吹は顔を上げて俺を見たまま、微かにニコッと笑った。

「私は初め、奏多さまの気持ちまでもが偽物ならば、面倒事になるかと思い、反対の気持ちでおりました。瑠衣さまとの結婚が、周りを欺くためのものであるのはわかっていましたから。ですがあなたが、彼女を本気で想うのであれば、反対する理由はございません」

幼い頃に伊吹に言われた言葉がよみがえる。
『奏多がやりたいことをしよう。僕たちの意見ばかりじゃつまらないだろう?君は正直に自分の気持ちを言えばいい。そしたら僕は反対しないよ』

当時の彼と、秘書となってよそよそしくなった彼が、初めて重なる。

「奏多さまがご自分でお決めになって、瑠衣さまと結婚なさるのであれば、よろしいと思います」

彼に頷くと、彼も微かに頷いた。俺はその場から走りだす。
廊下を見渡しながら彼女を探す。

偽装結婚を考えるような男の話を、君は信じるだろうか。
このまま勢いに任せて、瑠衣に好きだと告げてもよいものか。

躊躇う気持ちは大きいが、伊吹に背中を押されて、正直になりたいという想いが溢れてきた。
この気持ちを大切にしたい。そんな衝動に掻き立てられる。

近くにはいないようだ。エレベーターに乗ったか、階段を使ったか。息を切らせて辺りを見渡す。

ふとエレベーターのランプに目を遣ると、階が上昇しているのが見えた。
瑠衣かもしれないと思いながら見ていると、甲板のある七階で止まった。

慌ててボタンを押し、隣のエレベーターに乗り込む。

< 113 / 184 >

この作品をシェア

pagetop