転職先の副社長が初恋の人で餌付けされてます!
 二日目は、飲茶の店だった。
 部署の人達(……といっても李江を入れて三人のチームではあるが)へは、拓武の方からフォローが入っているのが救いではあったが、入社数日の中途採用社員を連日昼食に連れ出す言い訳が何なのか、李江は気になって尋ねたが、適当にはぐらかされてしまった。

 オーダーバイキングの店で、拓武が適当に注文してくれた。どれも美味だったし、李江の好きなものばかりだった。

 スタンダードなエビチリも小籠包も美味だったが、シンプルな豆苗炒めも、味わい深く、デザートの烏龍茶のゼリーは絶品だった。

 ……そして、拓武はまたしてもいつの間にか会計をすませていた。

「あのっ!」

 食事がすむと、すたすたと先に歩いてしまい、足並みをそろえてくれない拓武を追いかけて李江が拓武の腕をつかんだ。

「昨日は、ごちそうしていただきましたが、今日は、ごちそうになる理由がありません」

 すると、拓武は少し考えて、しれっと答えた。

「じゃあ、明日は、芦名さんがおごって、お返しに」

 そして、明日も一緒にランチをとる事がなし崩しに決まってしまったのだった。

 三日目、俺の好きな店でもいい? と、拓武に連れて行かれたのは、ロシア料理の店だった。なじみの店なのか、メニューが出てこず、またしても拓武に注文されてしまう。元々李江はおごる覚悟で多めに準備をしてきたが、値段を見ない状態で料理が出てくるのは少し心臓に悪かった。

 しかし、ボルシチの旨みと、ガルショークの絶妙な焼き加減に、不安を忘れて堪能してしまった。サラダも、ライ麦パンも平らげ、ふっと我に返った李江が、拓武の視線に気づいて赤面する。

「芦名さんは、本当に美味しそうに食べるよね」

「副社長こそ……」

「昔みたいに拓武さんって呼んで欲しいな」

「さすがにそれは……」

 と、李江が言いよどむと、

「じゃあ、せめて、脇田で」

「……はい、脇田さん」

「よろしい、んじゃ、帰ろっか」

 またしても先に行く拓武を李江が追いかける事になった。カウンターを通り過ぎて、会計を済ませていない事に気づき、李江が戻ろうとすると、拓武が振り返って言った。

「あ、もう済んでるから」

「脇田さん!今日は私がおごるって!」

「あー、ゴメン、じゃあ明日! 明日こそ、ね、明日はお店もまかせるから」

 四日目、今日はどこに連れて行ってくれるのかな? と、うれしそうに着いてくる拓武を従えて、李江は歩いていた。入社してからというもの、毎日ランチは拓武に連れ出されてしまい、李江自身は周囲の店についてほとんど情報が無かった。ネットの情報に頼ってもよかったのかもしれないが、今までの店はどこも拓武にとっては一度は行ったことのある店のようで、自分で味を確かめた上で李江を伴ってくれている事がわかった。
 李江が知っている店といえば、面接の帰りに立ち寄った定食屋くらいだ。
 しかし……味はよかった。間違いなく。値段的な釣り合いについてはこの際目をつぶってもらうことにしよう、と、李江が案内したのは、ひものメインの定食屋だった。

 正午を少しはずした時間の為か、ちょうど空席が出た。向かい合って食事をするのも、これで四回目だ。いつもと違うのは、二人ともメニューを見ているという事。今までは拓武が決めていたが、今日はそれぞれメニューを持ち、注文内容を吟味している。メニューを見るふりをして、李江は拓武を盗み見た。
 この数日で、拓武は副社長というより、ポジションとしては、遊軍の開発担当者なのだと聞いた。どこのチームにも所属せず、しかし全チームの状況は把握し、手薄なところのフォローに入ったりする事もあるらしい。元々、(株)ライジェルは、営業を主に行っていた社長の三鷹と、開発をメインで行う拓武とで始まったらしい。あまり表に出たがらない拓武ををフォローしていくうちに、所帯が大きくなったのだと。
 分業も進み、拓武は本来徹夜仕事などする必要はないはずなのだが、以前拓武自身が言っていたように、『家に帰ってもすることが無いので仕事をしている』らしい。

 一人ブラック企業みたいだから辞めて欲しいんだけど、と、新浦がこぼしているのを、李江も聞いていた。

 一日の大半を引きこもって仕事をして過ごしているらしい拓武が、ランチだけは生き生きと社内を移動していくのを見て、驚いている社員もいるらしい。
 入社してまだ四日の李江には、どうもそのあたりがピンと来ない。今だに、李江の中の拓武は、夏、海で李江の弟の桃弥と遊んでいる姿や、李江の料理を美味しそうに食べてくれる姿だった。
 ……そして、一緒に星空を見て、『オリオン座流星群を見よう』と、約束をした頃の、拓武だった。

 拓武は、鯖の二種盛りを、以前は日替わり定食にしたが、今回李江はアジの開き定食をそれぞれ注文した。

 ひものは、ほどよく油がのっており、焼き加減も絶妙で美味だった。都内の飲食店にしてはご飯の炊き加減もちょうどよい。

 拓武の口に合うかどうか不安もあったが、一口目で、

「美味い!」

 と、がっつき始めたのを見て安心した。
 以前、拓武が李江に『美味しそうに食べるね』と、言ったが、それは拓武だって同じだ、と、李江は思っていた。
 拓武は、少なくとも社内で見かける限りは、あまり表情に変化が無く、常にペースを崩さないような様子だったが、食事の時は実に美味しそうに、かつ下品では無く、よく食べる。ここまで美味しそうに食べてくれるなら、料理人冥利につきるんではないだろうかと、李江は思った。

 どうしていつもランチに連れて行ってくれるんですか?

 その質問を、李江は飲み込んだ。聞いてしまったら、確定してしまう。今の関係が。

 昔なじみの知り合いだから。そう、答えをもらえば、気持ちの落としどころはつく。……けれど。

 拓武は、約束を覚えていてくれた。しかも、あの場所で待っていてくれたのだという。
 そこで、拓武の気持ちは終わっているのか。それとも、今もまだ、続いているのか。

 自分はどうだろう。
 李江は自分自身に問いかける。

 終わったことだと思っていた。

 けれど、
 『まだ続いている』
 のか、

 ……それとも、
 『また始まった』
 のか。

 五日目。李江の歓迎会を兼ねた、プロジェクト終了のお疲れ会が開催される為、全部署に残業禁止の伝達が回っていた。

「夜は飲み会だから、軽めに麺類にしよう」

 と、言われて拓武と一緒に向かったのは蕎麦屋だった。立ち食い風のカウンターと、テーブル席のある店で、入り口で食券を買う都合上、スムーズに割り勘になってくれたので、李江は安心した。
 初日の割烹風和食料理店に比べると価格も内装もかなりのグレードダウンだが、味については価格以上のものがあった。いわゆるチェーン店の立ち食い蕎麦屋では無いようで、拓武はここでも常連であるらしく、食券を渡し、あれ~、久しぶりじゃない。などと、店員と話をしていた。

「これ、出汁も蕎麦もすっごく美味しいですね」

「外観を裏切るでしょ、いい意味で」

「本当に」

「……芦名さんは、食べさせ甲斐があるよね、すっごく美味しそうに食べる」

「脇田さんが連れて行ってくれるお店がどこも美味しいからですよ」

 食事をしていると、とても自然に会話ができる。けれど、肝心な事は何も聞けない。目の前にいるのは、『初恋の人』だろうか。『好きな人』なのだろうか。李江は思った。
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