紫陽花流しをもう一度
 その夜、私は白地に手毬柄の浴衣を着て神社へ出かけたが、すぐに林檎飴だけを買って近くのベンチに座った。人混みから一歩離れただけなのに賑やかなそこが別世界に思えた。お囃子の音を遠くに聴き林檎飴を食べていると狐の面を被った人が現れた。こちらを見据えてくるので不思議に思って見つめ返すと、

「お忘れかな、こんなところで女性がひとりとは何奴かに攫われますよ。」

と言って面をはずした。この間会った彼だ。私は驚いて、立ったと同時に林檎飴を落としてしまった。

「そんなに慌てる必要はありませんよ。おひとりですか。」

「ええ、そうなの、あの、お友達って私あまりいないもので。」

「では、よろしければご一緒してもいいですか。女性の一人歩きは危険ですから。」

貴方は危険じゃないの、と言って私は彼とまた賑やかな人混みに戻った。


「あの、私、貴方のお名前を知らないの。」

「大した名ではありません。衣笠と申します。貴女のお名前は。」

「桜子と申します。衣笠さんって名字の方、初めてお会いするわ。綺麗なお名前ね。」

「僕も桜子さんというお名前の女性は初めてお会いする。暖かい陽の中桜のつぼみがほころぶような印象をうけますね。綺麗だ。」

そう言って彼が微笑むので、恥ずかしくてつい顔を背けた。胸がざわざわして苦しい。こんなに賑やかなのに、私は自分の胸の音しか聞こえなかった。まるで全身心臓になったみたいに体が震える。こんなに顔が熱いのは、赤いのは、夏の夜の暑さのせい、それとも。彼が私の手をひいて前を歩く。屋台のライトを浴びる彼の背中に触れたくなった。

「おや、金魚すくいだ。」

やりませんか、と彼が止まってゆっくり振り返る。私は何を考えていたのだろう。恥ずかしさと少しの罪悪感から目が泳ぐ。私はただ少し頷いて、金魚すくいをすることにした。

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