あべこべの世界
「あの、よろしければ、ここどうぞ」

 わたしの目の前に座っていた若い男性が席を立った。

 その目は明らかにわたしを見つめている。



 え?



 それでもわたしは、それが自分に向けられている言葉だとは信じられず、思わずまわりを見まわす。

 まわりの通勤男性達は、うん、うん、と目で頷く。

「あ、あの、大丈夫です」

 わたしはとりあえず断った。

 一瞬若い男性の目に失望の色が浮かんだが、

 「どうぞ、僕はもう次で降りますから」

 と引かない。

 まわりの視線はわたしが座ることを期待している。

 それにわたしは負け「すみません」と小さな声を絞り出し、申し訳なさそうに腰を下ろした。

 まわりの空気が一気に和らぎ、席を譲ってくれた男性は満足げな笑みを浮かべた。

 それとは反対にわたしは鞄をぎゅっと胸に抱き、自分の降りる駅に着くまで緊張のしっぱなしだった。

 立っている方がよほど楽だ。

 大袈裟ではない、男性から席を譲られるなんてこの27年間生きてきて一度もなかったのだ。



 いったい今日はなにが起こったというのか!
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