今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
 無表情で踵を返すカディス。立ち尽くしたままおろおろと視線を泳がせる少女の腕を掴んでアリーナは彼を追いかける。

「ちょっと、へい、むぐっ」

「馬鹿。ここで呼ぶな」

 手で口を押さえられ、アリーナは頬を膨らませた。

「どうするんですか、この子」

「お前、身寄りは?」

 カディスは少女を見下ろした。

「あ、ありません」

「では、連れて帰る。殆どの仕事は手足と分別があれば問題なくできるからな。お前はその両方を持っている。……ララ」

 まさかいくらなんでも、と笑いかけたアリーナの前に本当にララが現れる。
 実際、驚き過ぎて少女は腰を抜かしていた。

「また指導を頼む」

 ララがほんの少し呆れた表情を浮かべたのをアリーナは見逃さなかった。

「まったく……わかりました。あなた、お名前は」

「フェリエ、です」

「ではフェリエ、行きましょう。失礼致します」

 お辞儀をしたララとフェリエが雑踏に紛れて見えなくなった。呆然とそれを見送る。

「指導って、何の」

「城の雑務だ」

 事も無げに宣うカディス。先程のララの表情も相まって、アリーナはあることに思い至る。

「……こういうの、初めてのことじゃありません、よね? もしかしてお城で仕事してる人、皆こういう風にあなたが連れてきたんじゃないんですか。……やけに城で働いている人が少ないなとは、以前思ったんです。それに、だから私を突然連れ帰っても誰も文句を言わなかったんですね」

「まあ、本当はひとりも必要ないんだがな。勝手ばかりな王族は皆殺したし、信用ならない貴族も皆追い出した。城にいるのは俺とセルジュ、ララに、それに今はお前だけだ。
掃除などの手間を減らすために使わない場所は普段から封鎖しているしな」

 アリーナは城に来たばかり、脱走しかけた時のことを思い出す。そうだ、確かにあの時、カディスの部屋までほかの扉は全て開かなかった。

「俺にとっては城なんてただの無駄に大きい住居だ。空けるわけにいかないから使ってはいるが」

 何というか、やっぱり変な人だ。微妙な顔をしたアリーナに、カディスが肩を竦める。

「お前も、俺がしていることは偽善だと思うか? 富の無駄遣いだと思うか? 全てを救えないくせに余計に手を出して──それはただの貴族の道楽だと、所詮その場しのぎでしかないと嘲笑うか」

 その端正な顔がひととき、まるで泣きそうに微かに歪む。それは瞬き程度の間隙で、アリーナが再び見た時には、もういつもの威風堂々とした皇帝陛下がそこにいた。

「偽善の何が悪い。持っている力を使うことの何が悪い。その場しのぎでも、動けないよりずっといい。十が救けられないから一を救けないというのはおかしなことだ。できることを何故してはいけない」

 彼は、不敵に笑う。

「それに、俺は元より十を救うつもりだ。その始まりが一であることは致し方なく、当然のことだろうにな」
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