今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
 時間は、あっという間に過ぎ去って。
 気がつけば、ドゥーブルに赴くまであと一日に迫っていた。

 この城で過ごす、きっと最後の夜。


「そんな顔をなさらないでください。大丈夫です、辛うじて及第点を差し上げられるくらいにはなりましたから。ご安心を」

「辛うじて!? 及第点!?」

 声をひっくり返すと、アリーナの髪を梳いていたララが肩を竦めた。

「私は結構厳しいんですよ? 私の及第点なんですからもう少し自信を持って欲しいところですね。まあ、辛うじてですが」

「褒めたいのか詰りたいのかどっちかにしてくださいよ……私、緊張で胃が痛いんですから……」

「あら、アリーナ様も緊張なさるんですねぇ」

 とぼける声にアリーナは唇を尖らせる。

「当たり前じゃないですか。相手は敵国の王様ですよ? 私が何かしたら国家間の問題になると思うと」

 自分はただの町娘。いくら頑張ろうとぼろが出るだろう。それをいちいち指摘してくるような相手ではないことを願ってはいるのだけれど。
 でも、現在は休戦中とはいえ敵国なのだから、嫌味を言える部分はたっぷり言ってくるかもしれない。自分のせいでカディスの肩身が狭くなるのが一番嫌だ。……せめて、自分の役割を全うしたい。足を引っ張りたくない。

 ララが不意に手を止めて扉の方を見た。

「では私はこれで。お休みなさい、アリーナ様」

 アリーナが何か言うより前にララが姿を消す。それと入れ替わるように扉が開いた。
 カディスだ。こんな時間なのに、何故かまだ寝間着ではない。

 あれからも視察という名目で外出はしたけれど、カディスが触れてくることはなかった。
 触れるのはそうせざるを得ない、吸血の時と、ダンスの時だけ。
 それでいいのだと、そう自分に言い聞かせては、何故だか無性に虚しくて、不意に臆面もなく泣き出したい衝動に駆られていた。

「陛下? ……こんな夜分にどうされたんですか」

 これ以上大切な日の前に心を乱さないで欲しい。暗に来るなと非難してほんの少し強く睨みつけるが、カディスは気にした様子もなくアリーナが腰掛けているベッドに自分も座った。

 反射的に距離を取ろうと後ろに手をつくと、それに重ねるようにカディスが大きな手を被せた。剣を握るせいか自分より骨張った指が一本一本を確かめるようになぞって、ゆっくりと絡められる。当然、ぐいと顔が近くなった。

 吐息がかかるほどの近さで、アリーナは知らずどきりと心臓を跳ねさせる。
 何もかもに動揺させられてしまうのは、きっと顔が綺麗だからだ。それだけのはずだ。

「アリーナ……」

 低く囁かれて、腰に響く。思わず肩を震わせてから、かあっと顔を赤らめる。
 こんなにも心地好く感じるのは、きっと声がいいからだ。それだけの、はずだ。
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