今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
「どうしたん、ですか……」

 アリーナはカディスの手が小刻みに震えていることに気がついた。

 それが、恐怖によるものだとすれば。
 あれだけ強いカディスが、無敵の皇帝陛下が、一体何を恐れるというのだろう。

 カディスは答えず、こちらを見つめたまま微動だにしない。ずっと至近距離で見つめ合っていることに耐えられず、アリーナは言葉を続ける。

「血は昨日も吸いましたよね。もしかして足りなかったとか」

 必死に冷静を装って言ったのに、カディスが強く抱き締めてきたものだからアリーナの平常心は簡単に吹き飛んでしまった。
 つ、と指が背を辿るのがわかった。

「な、な……っ」

「アリーナ」

 カディスがアリーナの肩口に鼻先を埋める。後ろ髪を指で梳かれて、アリーナは完全に固まった。

「この柔らかい栗色の髪も、そのうつくしい翠の瞳も。俺はお前のものだから好きなんだ」

 アリーナははっと鋭く息を吸い込む。そうでもしないと、何を言われたか理解できなかった。

「ずっとだ。思えば、初めて出会った時から、きっと俺はその強い瞳に惹かれていたんだろうな」

 浮き上がった心を突き刺すように、直ぐに鋭い痛み。
 もう癖のようなものだった。自分で強く言い聞かせるのだ。浮かれるなと。カディスが自分にどれだけ甘い言葉を吐こうと、それは全て本気ではないのだから。

「お前の全て、永遠に俺のものにできたなら。どれだけ良かっただろう」

 カディスが体を離した。こちらを見る瞳が、震えている。

「お前は帰れ、アリーナ」

 カディスがアリーナをとんと軽く押した。人形のように簡単に倒れたアリーナに覆い被さる。
 組み敷かれ、首を舌先で舐められる。得体の知れない擽ったさにふるりと身震いした直後、首筋に噛みつかれた。

 じんと燃えるようないつもとは違う強烈な痛みに、アリーナは短く悲鳴を上げる。まるで獣のように獰猛な、容赦のない吸い方だった。自分の中から血が流れ出ていくのがはっきりと感じられる。

「や、ぁ……」

 気持ちよさと痛みと失血とで朦朧とする意識を、唇を噛んで必死に繋ぎ止める。

 カディスがアリーナの耳に口を寄せた。

「お前はもう要らない。役立たずの町娘など、最初から連れて来なければ良かった」

 耳の縁を軽く食まれ、ぐわんと頭が揺れる。
 何か言いたいのに、意識が掻き回されるようで言葉にならない。
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