今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
「おや、知らなかったかい? もう2ヶ月くらい前かな、皇帝陛下が公爵令嬢と婚約されたって記事だよ。ほら、この子栗色の髪だろう? あんまり姿が見えないもんだから、もしかしたらアリーナなんじゃないか、なんて冗談を言い合ってたんだよ」

 大きく載っていたのは、皇帝陛下と、隣に立つ少女が写った一枚の写真だった。こちらに背を向けている。

 彼は少し屈み、その少女に顔を近づけて柔らかく笑っていた。まるでとっておきの秘密を囁く悪戯好きの子供のように、きらきらと瞳を輝かせて。宝物を見つめるが如く、けぶるように長い睫毛をそっと優しく伏せて。愛しいものを見つめるように、唇を綻ばせて。
 少女の腰に回されかけた彼の手は、しかし躊躇うように宙を彷徨っていた。

 こんなもの、いつの間に撮られていたんだろう。ララかセルジュか、あの人たちならどちらでも有り得る。

 まったく、と苦笑したつもりだったのに、こぼれたのは情けない嗚咽だった。両手で口をおさえて、ルーレンに気がつかれないように必死に飲み込む。

「いい写真だよ。皇帝陛下は、この娘さんがとても大切なんだろうね」

「……ごめんなさい、少し外の空気を吸ってきます」

 返事を聞く前に店の外に飛び出した。蹲って深く息を吸う。大きく肩が震えた。

 もっとずっと嫌な奴でいて欲しかった。
 こんなに想わせないで欲しかった。
 手放すなら、優しくしないで欲しかった。
 ちゃんと、諦めさせて欲しかった。
 下手な嘘をつくなら、つき通して欲しかった。

 ──ねえ、あなたは。
 いつもこんな顔をして、私を見ていたの?

「……う」

 ぼろっ、と大粒の涙が零れ落ちた。カディスの笑みの上に広がった丸い滲みを指でなぞる。
 
 もう、哀しくて、虚しくて、辛くて、苦しくて、痛くて、たまらない。

 涙は後から後から溢れ出して止まらなかった。新聞をぐしゃりと握り締め、強く強く額に押し付ける。

「こんなに、こんなにっ、会いたいのに……!」

 何が嘘で真実だってどうでもいい。
 カディスの傍にいたかった。傍にいるのが自分でありたかった。望むのはただ、それだけなのに。

 こんなの、ずるい。
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