今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
◇◇

 こつこつとルグマが玉座を指で叩く。それを横目で見ながらアリーナは嘆息した。堪え性が無いというか、何というか。

「まだか」

「さあ、私にはわかりかねますけど」

 ついでに言うとこうして横に座らされていることもわかりかねる。朝起きたらすぐに湯船に沈められ、着飾らされ、ここまで拉致されたのだ。意味がわからないし迷惑でしかない。一体何を考えているのだろう。

「愛想の悪い奴だな。彼奴が来るまで暇潰しくらい付き合え」

「……暇潰しって言ったって、本当に帰ってくるかもわからないのに」

 ルグマはアリーナを一瞥すると呆れたように肩を竦めた。そんな顔をされる謂れはないのだが。

「国王陛下!」

 と、切羽詰まった声と共に扉が勢い良く開け放たれる。数人の兵士と思しき武装した男たちが転がり込んできた。まるで戦乱の最中を通り抜けたかのように至る所怪我塗れである。
 息も絶え絶えに、ふらふらと半ば潰れるようにして膝をつく。

「陛下! あ、あいつが……」

「ひっ……あ、あれ、あれはっ、人ではありません! ば、化け物……!」

 ルグマがにやりと嗤い、呼ばわれたようにすうと視線を上げる。その先、ひとり佇んでいたのは黒髪の騎士だった。
 彼自身に傷は一つもない。全身を返り血に染め、だらりと剣をぶら下げていた。酷く重そうに、引き摺るように。彼が歩くと、赤い痕が残った。

 いっそ痛いほどに真っ直ぐな視線が、こちらを見た。

「カディス……っ」

 アリーナは思わず席を立つ。

「化け物とは、人聞きの悪い」

 ゆら、とカディスの瞳が燃えた。

「人聞き? 別にそんなこと、気にしていないくせに。汝が気にしているのはこいつだけだろう」

 ぐっと強く顎を掴まれ近づいたルグマの顔を思い切り睨みつけてやる。

「触らないで」

 喉の奥で低く唸り、手の甲を思い切り抓る。

「家を潰し、国を潰したあの汝が一人の女に心を寄せることがあるとはな。……なあ、それほどまでにこいつが大切なのだろう?」

 ひたりと首に冷たいものが当たった。ルグマが顎をしゃくると脇に控えていた兵士に後ろから羽交い締めにされる。見えはしないが、感触的におそらく刃物だ。さっと血の気が引く。

「流石に恐ろしいか」

 ルグマが真顔のままくっと喉を鳴らす。

「おい……!」

「動かない方がいい。余は本気だ。これを見ればわかろう」

 足を踏み出したカディスにルグマがアリーナの頬を指し示す。そこは昨夜アリーナが自分でつけた傷がある場所だった。
 カディスが目を見開き、射殺しそうな勢いでルグマを睨みつける。

「いや、それは自分で──」

 ぐっと喉に刃が押し付けられてアリーナは言葉を飲み込んだ。

 ……わざわざカディスの気に障るようにしてどうするつもりなのだろう。

「レガッタの馬鹿な王が戦争を始めた時はほんの数年で決着がつくだろうと思ったが、誤算は汝だった。終戦間際と思われた頃だったな。突然侯爵家が青二才に代替わりしたかと思えば騎士団長までやり始め……最初はただの碌でもない貴族の道楽だと思っていたが、まさかたった一人に戦況を返されるとは」

 カディスは何も言わずじっとルグマを見据えていた。
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