麗しき日々
「あっ…… 先日の停電の際にはお世話になりました」

 私は、深々と頭を下げた。

 あの時の出来事のどこまでが本当なのかは分かないが、取り合えず、お礼は言っておこう……


 副社長は、少し驚いたように目を開いた。


「い、いや…… 礼などいい」


 そりゃそうか……

 副社長がもっと早くドアを開けてくれれば、私はあんなにトイレを我慢して苦しい思いをする事も無かったのだから……


 普段見ていると、イケメンでクールであまり声を掛けられる雰囲気では無いのに、二人になると、なんだか感覚が狂ってくる。


 これ以上は、かかわらない方がよさそうだ…… 

 私は、また、ドアへ向かって歩き出した。



 しかし、いつの間にか後ろに立っていた副社長に、腕を思いっ切り掴まれた。


「なぁ…… 怒っているのか?」


 副社長は眉間に皺を寄せた顔を近づけてきた。


「別に……」


「じゃあ、なんで、すぐ行くんだ?」


「はあ? 用事が済んだから戻るのが普通だと思いますけど……」

 私はジロリと副社長を睨んだ。


「俺は、済んでない!」

 副社長は、腕を掴んだ手を緩める事なく言った。


「それは、申し訳ありませんでした」

 私は仕事の顔に戻した。


 しかし、


「悪かった……」

 副社長はぽろり謝った。


「えっ」

 驚いて、思わず副社長と目ががっちり合ってしまった。


 その瞬間、唇に何かが触れた。

 副社長の唇だと気が付くのにしばらくかかった気がする。


 重なった唇は、なかなか離れてくれず、息苦しいのだが、力が入らない。


 やっと離れた副社長に、何を言えばいいのか分からない……


「どうして?」


「キスしたかったから……」

 副社長はさらりと言った。


 私は完全に言葉を失ってしまった……


 私はそのまま、副社長室を飛び出した。


 廊下を歩きながら、今起きた事が、なんだったのか全く理解が出来ない……


 ただ…… 


 唇だけが熱い……、

 副社長の唇の感覚だけを残し、ドキドキと胸が苦しい……

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