MAZE ~迷路~
五 事実と真実の狭間で
 前日の冒険が効き過ぎたのか、有紀子(ゆきこ)のスコールのような怒りの直撃を受けた智(たくみ)は、さすがに精神的な疲労を感じていた。
「荷物取りに行ってくる。」
 そんな簡単な一言で、美波(みなみ)は有紀子の怒りに終止符を打つと、智の車に乗り込んだ。
「今日は、早く帰ってきなさい。夕べ、パパから電話があったのよ。美波がいなくて、とても寂しがってたわ。」
 有紀子は言うと、諦めたように口を閉じた。
「わかった。」
 美波は言うと、駐車場まで送ってきた有紀子に手を振り、智に車を出すように合図した。
「それでは、失礼します。」
 智は言うと、美波に促されるまま、車を発進させた。


 智の部屋に着くと、美波は一目散に机に向かい始めた。
「何してるの?」
 智はお茶を煎れる準備をしながら、美波のメモを覗きこんだ。
「昨日のことを整理してるの。」
 そういう美波はとても元気で、とても同じ冒険をした相手には見えなかった。
「美波、元気だね。」
 智は言うと、やかんを火にかけた。
「分かってる事、書いておかなくちゃいけないもの。」
 美波は言うと、メモを智に見せた。智は、そのメモに自分の疑問を書き足した。そして、更に美波がそれにメモを書き加えた。


おじいさん:先代の医院長(死亡):古い卒塔婆に古い骨壺
お父さん:現在の医院長:お墓の場所を隠したがっている。警戒心が強い。
お兄さん:院長実子
ティンク:養女:真新しい骨壺、真新しい卒塔婆、骨壺はからっぽ

1. お寺への電話での問い合わせが、慎重に報告されていた。
2. 病院全体が異様なほど、取材を警戒している。
3. 問い合わせを受けて、卒塔婆や骨壺か用意された。
4. なぜ、お墓を暴いているのがばれたのか?
5. お寺も、この謎に加担しているのか?
6. あの松明をもったような一団は何者か?
7. 何を隠そうとしているのか? ティンクが生きている事
8. 本当に絢子さんは殺されたのか?  絶対に生きてる
9. 犯人は本当に自殺した交際相手なのか?  ありえない
10. もし、生きているとしたら、絢子さんはとこに? 実家の病院
11. なぜ、生きているなら、美波に連絡しないのか? 監禁されているから


「そういえば、どうして夕べ、危険だってわかったんだろう。」
 智は、思わず呟いた。
「まるで、なんて言うのかな、美波が言うところの、先触れって言うのかな。」
 智の言葉に、美波は目を輝かせた。
「すごい。智にも先触れの言ってる事がわかるようになったんだ。」
 美波の言葉に、智は夕べの事を思い出した。確かに、何かが『早く逃げろ』と囁きかけていた気がした。
「私は、ずっとティンクの気配を感じるのに、集中していたから、先触れの声が届かなかったんだと思う。」
 美波が言うと、智はゆうべの美波の姿を思い出した。
「美波、最初からお墓を暴くつもりで行ったのか?」
 智は批難のこもった口調で言うと、美波の事を見つめた。
「それはそうよ。だって壺があったって、空っぽかどうか確かめる必要があるし。それに、実際、ティンクの壺は空っぽだったわ。」
 美波は、何事もなかったかのように言ってのけた。
「そりゃ、絢子さんのは空っぽだったかもしれない。でも、少なくとも他の壺には中身が入っていたはずだろ。」
 智は言うと、今更ながら、納骨室に骨壷を戻した事を思い出し、身の毛がよだつのを感じた。
「だって、ティンクは死んでいないって言う事を確認しに行ったのよ。」
 美波は言うと、当たり前といった表情で智のことを見返した。
「美波、確かに骨壷は空だった。卒塔婆も新しかったし、怪しい事はいっぱいある。あの変な一団の男達とか。でも、だからと言って、一足飛びに絢子(あやこ)さんが生きているという結論に達する事は出来ないよ。」
 智は言うと、美波の事を見つめた。
「絢子さんは殺されたんだ。でも、遺体は海に沈んで見つからなかった。だから、最初から骨壷に入れるものは、何もなかったんだ。美波も現実を受け入れるべきだ。絢子さんは死んでしまったんだ。もう、帰ってこないんだ。」
 ゆっくりと、智は美波に話しかけた。
「嘘よ。そんなの、全部嘘よ。ティンクは生きているわ。私には、分かるの。」
 美波は言うと、智の瞳を見つめ返した。その瞳は、まるで緑色の炎が燃え立っているようだった。
「私にとって、ティンクは、ティンクは私の半分なの。半分の自分を失ったままで、そのままで生きて行くなんて、そんなこと私には出来ない。もし、本当にティンクが死んでいるのなら、私にわからないはずはないわ。私とティンクは一心同体なんだから。私、一人じゃ幸せになんてなれない。」
 智の目の錯覚ではなく、美波の瞳は緑色をしていた。
「美波・・・・・・。美波も、冷静に事実を受け入れるべきなんだよ。そりゃ、誰だって大切な人が死んだ事なんて認めたくない。でも、美波は美波で、絢子さんじゃない。美波も、美波と絢子さんは別の人間なんだってことを、一心同体なんじゃなく、違う人間なんだって事を認識する必要があるんだよ。死んだのは絢子さんで、美波じゃないし。絢子さんは、美波の一部ではないんだよ。もう絢子さんの亡霊に依存するのはやめるべきだ! それに、美波は一人じゃない。美波は、俺と二人で幸せになるんだ。だから決して、一人なんかじゃない。みんな美波が、そうだって思い込んでるだけなんだよ。」
 智は言ってしまってから、あわてて次の言葉を飲み込んだ。いま智の目の前にいるのは、智の知っている、美波ではなかった。
「智なら、智ならわかってくれるって信じてたのに。」
 美波は言うと、寂しげな、まるで哀れむような瞳で智の事を見つめた。
「もう、おしまいだわ。さようなら。」
 美波は言うと、荷物を手に智の部屋から出て行った。
「美波・・・・・・。」
 走り去る美波の背に呼びかけた智だったが、後を追う気力も、体力も、智には残されていなかった。

(・・・・・・・・おしまいって、さよならって、一体。どうしたら良いんだ・・・・・・・・)

 智は呆然としたまま、椅子にがっくりと座り込んだ。


 やかんのけたたましい笛の音が智の耳に入った時、すでにやかんのお湯は半分ほど蒸発していた。

(・・・・・・・・お墓を探して、見つかったら諦めるんじゃなかったのか?・・・・・・・・)

 智は自問自答しながら、美波の家に電話をかけた。
 美波が一人で帰ったことを智が告げると、有紀子は美波が帰りついたら連絡すると約束してくれた。
 智はソファーに腰をおろすと、呆然としたまま、電話が鳴るのを待ち続けた。


 待ちわびた末にかかってきた電話は、有紀子からのものではなかった。
『智、これからそっちに行く。逃げるなよ。』
 敦(おさむ)は名乗りもせず、相手も確認しないまま言うと、有無を言わせずに電話を切った。
 智は、何が起こったのかわからないまま、夕暮れ間近の空に目をやった。

(・・・・・・・・美波、家に帰らないで敦のところに行ったのか?・・・・・・・・)

 智はそんな事を考えながら、敦のためにコーヒーの支度をした。


 敦が来たことを告げる玄関のベルの音は、まるで敦の精神状態を表しているかのように、神経質な音がした。
「開いてる。」
 智は言うと、立ち上がる気力もないまま、敦を迎え入れた。
 入ってきた敦は、まるで頭から湯気が出ているのではないかと思うほど、険しい表情をしていた。
「智、美波に何を言った!」
 敦は言うと、いきなり智に掴みかかって来た。
「お前、俺から聞きだしたことを美波に話たのか? 最初から、美波に言うつもりで俺から聞きだしたのか?」
 敦は、智に返事をする隙も与えず、畳み込むようにして問いかけた。
「違う。」
 やっとの事でそれだけ言うと、智は敦の手を払いのけた。
「俺が美波に言ったのは、絢子さんの死を美波も受け入れるべきだということだけだよ。」
 智が言うと、敦は智の事を見つめた。
「お前、美波に、絢子ちゃんは死んだんだって言ったのか?」
 敦は、落ち着きを取り戻しながら問いかけた。
「言ったよ。絢子ちゃんは美波の一部なんかじゃないって。だから、もう、現実を受け入れるべきだって、そう言っただけだよ。」
 智は言うと、両手で頭を抱えた。
 敦は自分が誤解していた事を悟ると、智の隣に腰をおろした。
「そうか。誤解してたよ。この間の今日だったから。」
 敦は言うと、智の方を向いた。
「確かに、俺もおばさんも、長い事、絢子ちゃんは死んだんだって。美波に言う事を避けていた。それを言ってしまうと、美波を殺してしまうような気がして。本当は、俺やおばさんが、もっと早くに言うべきだったんだよな。」
 敦の言葉には、後悔がにじんでいた。
「美波な、あの日。絢子ちゃんが殺されたとされている日に、激しい腹痛を起こしたんだ。美波いわく、内臓をつかみ出されるような、そんな痛みだったって。それで、絢子ちゃんの声が聞こえたって。」
 敦は辛い記憶を思い出すように、ゆっくりと智に話し続けた。
「それ以前にも、何度かおんなじ様な事があって、よく美波は、絢子ちゃんと自分は一心同体なんだって言ってた。ほら、双子の一方が怪我をすると、もう一人も痛みを感じたり、相手が怪我した事がわかる、そういった感覚。だから、美波も絢子ちゃんも、お互いに自分たちが一心同体なんだって信じていた。俺でさえ、あの事件の時に美波が救急車で病院に運ばれたって聞いた時は、そのまま美波も死んでしまうんじゃないかって、心配したよ。でも、美波はすぐに異常なしって言われて退院したけどな。」
 敦の言葉に、智は『智なら、智ならわかってくれるって信じてたのに』という美波の言葉を思い出した。
 今となっては、美波が何を智に求めていたのか、智にも良くわからなかった。あの言葉の意味が、美波の異常なまでの絢子に対する依存を示していたのか、それとも突拍子もない、絢子は生きているという事を示していたのか、それとも、もっと根本的な美波と智の関係を示していたのか、智にはまったくわからなかった。

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