MAZE ~迷路~
八 メビウスの帯
 眠りから覚めた絢子(あやこ)は、同じ天井が見えることに、少しだけ安心した。長い間の過酷な体験が、絢子の中の恐怖を呼び覚まし始めていた。

(・・・・・・・・ここの連中だって、警察だの、医者だのって言ってるけど、あいつらの仲間じゃないって確証はない。この美波の体に私がいるって判ったら、何をされるかもわからない。それに、この美波の体には、ぜったい誰も指一本触れさせないんだから・・・・・・・・)

 絢子は考えると、再び目を閉じた。

(・・・・・・・・どれくらい時間がたったんだろう? 哲(さとる)は?・・・・・・・・)

 絢子は長い間、心の中で封印していた哲への想いに気がついた。

(・・・・・・・・哲、生きてるよね。約束したもの・・・・・・・・)

 考えながら、絢子は養父が約束を守るような人間ではない事を必死に心の中で否定した。

(・・・・・・・・哲、逢いたい。私、やっぱり哲のこと好きなんだ。そりゃ美波(みなみ)より、哲が好きかって言われたら困るけど。美波よりも愛せる相手なんて、居るとしたら、翔悟だけ。でも、美波の幸せのためなら、私は翔悟(しょうご)を諦める事だってできる。実際、そうしたし。だとしたら、やっぱり、私が一番愛してるのは、美波だけなんだ。それなのに、私は美波を殺してしまった・・・・・・・・)

 絢子はベッドから降りると、ゆっくりと洗面台の鏡の方へ歩いていった。


 何回見ても、鏡に映るのは美波の姿だった。
「ティンク。」
 小声で自分の名を呼んでも、聞こえるのは懐かしい美波の声だった。

(・・・・・・・・きっと、あの時、力が爆発した衝撃で、私は美波の体に入るだけのつもりが、美波を体からはじき出しちゃったんだ・・・・・・・・)

 絢子は鏡を見ながら、涙をこぼし始めた。

(・・・・・・・・せっかく、せっかく逢えたのに。こんな事になるなんて・・・・・・・・)

 絢子は、その場に泣き崩れた。


 誰かが、律儀に絢子をベッドに戻してくれているのは明らかだった。
 絢子が鏡の前で泣き崩れ、意識を失うたびに、絢子はきちんとベッドの上で目覚めた。

(・・・・・・・・ここの連中、何者なんだろう・・・・・・・・)

 絢子は考えながら、再び体を起こした。

(・・・・・・・・美波、年取った気がする。あれから、どれ位時間がたったんだろう? ・・・・・・・・)

 右手首を見ると、包帯は新しいものに替えられ、きちんと巻きなおされていた。

(・・・・・・・・美波、どんな暮らしをしてたんだろう・・・・・・・・)

 絢子は考えながら、再び横になった。

☆☆☆

 病院についても、四人は、すぐには美波に会わせてもらえなかった。
 有紀子(ゆきこ)、美夜子(みやこ)と敦(おさむ)、智(たくみ)の三グループに分けられ、それぞれ、美波との関係や事情の聴取をされてから、やっと病室へと案内された。
「なんだよ、あの取調べ。まるで、美波が犯人みたいじゃないか。ってか、犯人って、いったい何のだよ!」
 待合室に戻るなり、敦は文句を言い始めた。
「敦、静かに座ってなさい。ここで騒ぎを起こすのは、美波ちゃんのために良くないわ。」
 美夜子は言うと、心細そうにしている有紀子の手を握った。

☆☆☆

 ノックと共にドアーが開き、看護士姿の女性が姿を現した。
「粟野原(あわのはら)さん、ご面会よ。」
 女性は言うと、絢子に微笑みかけた。
「話せないわけじゃないのよね?」
 女性は心配げに言うと、絢子のことをみつめた。
「耳は、ちゃんと聞こえてるのよね?」
 女性の問いに、絢子は答えなかった。

(・・・・・・・・私に逢いたいって、いったい誰?・・・・・・・・)

 絢子が悩んでいると、病室に有紀子、美夜子、敦、智の四人が姿を現した。

☆☆☆

 美波の病室に案内された四人は、ベッドに張り付くようにして美波の姿を見つめた。
「美波。」
「美波ちゃん。」
「美波。」
「美波。」
 殆ど同時に発せられた四人の声に、絢子は驚いて身を硬くした。
「美波、怪我したのか?」
「美波、大丈夫なのか?」
「美波ちゃん。」
「美波。」
 四人は、再び一斉に声を発した。

(・・・・・・・・この人たちは、美波に逢いたいんだ。私じゃない・・・・・・・・)

 絢子は考えると、パニックに襲われた。

(・・・・・・・・どうしよう、私が美波じゃないって判ったら、美波を殺したって判ったら・・・・・・・・)

「美波、どうしたの?」
 美波の行動を疑問に思った有紀子は、三人を制して問いかけた。

(・・・・・・・・美波のお母さんだ・・・・・・・・)

 絢子は、有紀子の顔を確認すると、有紀子のことを見つめた。
「美波、どうしたんだ? 何があった?」
 思わず智が声をかけると、絢子は再び身を強張らせた。

(・・・・・・・・この男誰? 知らない。誰なの?・・・・・・・・)

 絢子は、怪訝な目で智の事を見つめた。
 その冷たい、他人を見つめるような美波の瞳に、智は思わず息を飲んだ。

(・・・・・・・・どうしたんだ、美波。まるで、俺がわからないみたいな目で・・・・・・・・)

 智は考えると、凍りついた。
「智、黙ってろ。ここは、おばさんに任せよう。」
 敦に言われなくても、智には再び声をかける勇気はなかった。
「美波、お母さんよ、わかる?」
 有紀子は言うと、一歩、美波の方に歩み寄った。

(・・・・・・・・どうしよう。美波は、美波は・・・・・・・・)

 絢子は悩みながらも、心を読まれないようにブロックした。

(・・・・・・・・もし、おばさんに美波じゃないのが判ったら、おばさんはどうするだろう・・・・・・・・)

 絢子は考えると、急に怖くなって顔を背けた。

(・・・・・・・・ここから出たい。私を逃がして・・・・・・・・)

 絢子は無言のまま俯いた。

☆☆☆

 呆然とする四人の前で、美波は一言も口を聞かず、四人は面会時間の終了を告げられた。
「絶対、なにかされたんだ。」
 敦は言うと、エレベーターの壁を蹴った。
「敦、やめなさい。」
 美夜子は言うと、有紀子の方に手をかけた。
「まるで、美波じゃないみたい・・・・・・。」
 有紀子は言いながら、顔を曇らせた。
「なんか悪い薬でも飲まされたんだよ。智を見たときの美波の顔、まるで知らないみたいだった。」
 敦の言葉に、智は背中を冷たいものが流れていくのを感じた。
「もしかして、記憶がなくなったとか・・・・・・。」
 言いかけたものの、智は頭を横に振って口を閉じた。

(・・・・・・・・そんな事、あるわけない・・・・・・・・)

 四人は、速やかに病院を後にした。

☆☆☆

「ぜったい、なんかされたんだよ。」
 敦は言うと、今度はテーブルを拳骨で叩いた。
「敦、落ち着きなさい。」
 同じようなやり取りを繰り返した末、やっと家にたどり着いた四人だったが、家に帰り着いても、何も進展はなかった。
「おかしいじゃないか、俺たちがわからないなんて。」
 敦は更に言うと、横を向いた。
「敦ちゃん、絢子ちゃんに逢った事あった?」
 有紀子の言葉に、敦は記憶をめぐらせた。
「あるよ、でも沢山ってほどじゃない。それに、ずいぶん昔の事だし。俺は絢子ちゃんわかるけど、絢子ちゃんは、俺がわからないかも。美波に似てないからね。」
 敦の答えに、有紀子は美夜子を見つめた。
 美夜子は、何も言わずに頭を横に振って見せた。

(・・・・・・・・もし、あそこに居たのが絢子ちゃんなら、私以外の誰もわからないはず・・・・・・・・)

 有紀子は考えながら、目を伏せた。

 その日の夕方になると、事故はマスコミ各社のスクープ攻防戦となっていた。
 一見、ただの病院火災に見えた事故も、原因不明の爆発、目撃報告と異なる現場の状態、異常な停電、責任者の死亡、発見された身元不明の遺体などから、マスコミ全社は一斉にあらゆることを書きたてた。

「・・・・・・重要参考人として、現場に居合わせたAさんが身柄を拘留されているとの噂もある。・・・・・・なんだよ、これ。」
 敦は言うと、新聞を丸めて放り投げた。
「・・・・・・院長の遺体は見つかったけれど、まだ、将臣さんが行方不明のようね。」
 有紀子も、新聞を見ながら呟いた。
「有紀子、絢子ちゃんが見つかったわ。」
 テレビを見ていた美夜子の言葉に、全員が一斉にテレビの方を向いた。
 テレビの画面上部いっぱいに、『事故現場から、近江絢子さんの遺体発見!』と、大きく映し出されていた。

『現場です。こちら原因不明の爆発事故がありました近江病院前です。こちらの爆発事故現場から回収された遺体の一つが、十年ほど前に殺害されたとされる、長女の絢子さんのものであると確認されました。なぜ、遺体が実家である病院に安置されていたのかなど、詳しい状況はわかっておりませんが、現場に居合わせた女性を重要参考人として、警察では身柄を確保しているとの情報です。・・・・・・。』

 テレビの報道に、四人は凍りついたようにテレビを見つめた。
「達海(さとみ)さんに、連絡するわ。」
 有紀子は言うと、受話器を取り上げた。
「敦、あなたは一度、家に帰りなさい。」
 美夜子の言葉に、敦はしぶしぶ頷いた。
「智さん、情報が入り次第、連絡します。貴方もご自分のお部屋にお帰りなさい。この状況だと、いつマスコミが先走って、美波の名前を報道するか分からないわ。変な報道が耳に入ると、ご家族が心配されるでしょうし、あなたと連絡が取れないとご心配になられるでしょう。」
 美夜子が言うと、智は黙って頷いた。
「有紀子、すぐに戻ってくるわ。」
 美夜子は、二人を急かすようにして立ち上がらせると、有紀子をひとり残して家を後にした。

☆☆☆

 部屋に戻っても、絢子という人間の存在すら知らない智の両親からは、何も連絡は入っていなかった。
 重要参考人という美波の立場は、マスコミにとっては魅力的な存在なのはわかったが、恐れていた美波に関する実名報道は、今のところされていなかった。

「美波のこと、実名報道されなくて良かった。」
 智はつぶやくと、ぐちゃぐちゃのまま放置されているベッドに腰掛けた。
 この間の冒険の後のように、体は鉛のように重く、気分は憂鬱だった。

(・・・・・・・・美波のあんな顔、見たことない・・・・・・・・)

 智は思い出しては、頭を横に振って他の事を考えようと努力した。しかし、冷たい美波の視線は、智の瞼の裏に塗りつけられでもしたかのように、瞳を閉じても開けても、智の事を苛み続けた。

(・・・・・・・・美波が俺を忘れるなんて・・・・・・・・)

 気が狂いそうになりながら、智は横になって布団をかぶった。

(・・・・・・・・そんな事、絶対にありえない・・・・・・・・)

 智は、心の中で叫び続けた。

☆☆☆
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