MAZE ~迷路~
九  迷宮を抜けて
 敦(おさむ)が美波(みなみ)、正確に言うと、美波の体の中にいる絢子(あやこ)から聞いた話をすると、有紀子(ゆきこ)は納得がいったという表情を浮かべて、何度も頷いて見せた。
「敦ちゃん、紛らわしいから、私たちの間では、絢子ちゃんと呼ぶ事にしましょう。」
 有紀子は言うと、敦の了解を求めた。
「じゃあ、本当に病院にいるのは、美波じゃなく、絢子ちゃんなんですか?」
 敦は、しつこいかと思いながらも、もう一度確認した。
「体は美波よ。間違いないわ。テレビでも放送されていたとおり、絢子ちゃんの体は遺体で発見されたわ。」
 有紀子の言葉に、敦は一連の報道を思い起こした。


○ 近江正臣氏遺体で発見される転落死
○ 絢子ちゃんの遺体発見呼吸不全(事故で人工呼吸器が止まったから)
○ 近江将臣氏行方不明
○ 女性と思われるバラバラ死体霊安室奥の部屋で発見
○ 多数の奇形児の遺体発見
○ 近江医師がカルト宗教に傾倒していた証拠物件押収
○ 近江夫人いまだ沈黙
○ 火災の目撃証言を裏付ける証拠なし
○ 爆発の原因わからず
○ 美波 ベッドに手錠で括り付けられ発見
○ 美波 爆発事故の容疑者と疑われる
○ 美波 放火の容疑署と疑われる
○ 美波 絢子ちゃんの殺害容疑をかけられる
○ 美波 絢子ちゃん 哲に会いたがる
○ 美波 絢子ちゃんと証言






 改めて、走り書きのメモを取り出した敦は、最後に二行書き足した。
「おばさんは、何で絢子ちゃんが美波の体に入ったと思いますか?」
 他人に聞かれたら、間違いなく精神病院送りになりそうな事を口にしながら、敦は有紀子を見つめた。
「それは、美波が望んだ事だと思うわ。」
 有紀子は言うと、ため息をついた。
「実際、そんな事が可能かどうかは、私にもなんとも言えないの。私たちと、美波たちでは、力の強さが違いすぎるから。ただ、美波と絢子ちゃんは、本来ならば、二人で一人でなくてはならない、そういう運命をもって生まれてきてしまったから、本来あるべき姿、二人で一人になろうとする力が強かったんだと思うの。」
 有紀子の言葉に、敦は、自分の理解を超越した高等数学の講義を聴いているような気がした。
「一番大切なのは、証拠を掴む事。でも、近江(このえ)さんが死んだ以上、美波の無実を晴らすのは大変かもしれないわ。」
 有紀子はいつになく、弱気になった。
「おばさん!」
 敦は声を上げると、有紀子のことを見つめた。
「だれも、証言できないんですもの。絢子ちゃんに証言させたら、美波も絢子ちゃんも、一生、精神病院送りになってしまうわ。せめて将(まさ)臣(おみ)さんでも、証言してくれれば。」
 有紀子の言葉を聞きながら、敦は重要参考人の一人が追及を免れている事に気がついた。
「そういえば、あのライター。美波をあそこへ連れて行った張本人、栗栖(くりす)万年(たかとし)って男、すっかり姿を隠してるじゃないですか。あの男なら、いろいろ知ってるはずでしょ?」
 敦は、自分の希望的な意見を言った。
「私が思うのに、発見されたバラバラ死体、あれは徳恵(のりえ)さんだと思うの。」
 有紀子の言葉に、敦は目をむいた。
「栗栖という人は、徳恵さんの彫刻だと思っていたら、それが本当に徳恵さんで、砕け散ったって言ってたんでしょう?」
 敦は頷くと、目を細めて古い記憶を掘り起こした。
「徳恵さんは、一般的に意思がないと思われている、石とか土、そう言ったものを操る力があったようなの。そういう力を持った人は、力を集約する事によって、物を石に変えることができるの。だから、自分を守るために、命と引き換えに自分を石に変えたとしたら、彫刻のように見えると思うわ。ただ、人間である徳恵さんが完全に石に変われるわけではないから、石になって、眠り続けてたっていうのが、正しいところじゃないかと思うの。それで、あの事故で、砕け散ってしまった。砕け散ったら、力が消えてしまうから、当然、人間に戻るでしょ。そのせいで、バラバラになってしまった。だとすると、あの栗栖さんて人、正気ではいないんじゃないかしら。愛しい人が、一瞬でバラバラになってしまったわけでしょ。」
 有紀子の説明に、敦は頭痛がしてくるのを感じた。
「徳恵さんは、翔悟(しょうご)さんのお姉さんで、ずいぶん前に、行方不明になったの。翔悟さんは、徳恵さんを探しながら、私たちに行き当たった。偶然の出会いだったわけだけど、運命的な出会いでもあったのよ。」
 有紀子の目は、懐かしそうに輝いていた。
「とても素敵な男性だったわ。外見の美しさだけじゃなく、内面の美しさも人を惹きつけて離さない魅力を持っていたわ。美波も絢子ちゃんも、すっかり虜になって。でも、二人のために翔悟さんは、身を引いたの。私は、翔悟さんは、絢子ちゃんを。絢子ちゃんも翔悟さんを愛していたと思うわ。美波は、翔悟さんを愛していたとは思うけど、それよりも、絢子ちゃんの幸せを願っていた。でも、絢子ちゃんは、翔悟さんが美波を好きで、美波も翔悟さんを好きだと思い込んでいた節があって、それで翔悟さんは、二人には、二人の幸せがあるからって。よそから来た自分が邪魔しちゃいけないって。二人の友情のために身を引いたのね。でも、翔悟さんの想いが、仇になったわ。」
 有紀子の目は、涙で潤んでいた。
「おばさん、無駄でもいいから、警察に栗栖を突き出したほうが良いよ。」
 敦は言うと、有紀子の事を見つめた。
「確かに、事件の解決には、良いかもしれないとは思ってるの。でも、あの男は、諸刃の刃なのよ。万が一、美波の力の事がマスコミにでも洩れたら、美波は狩られる立場になるわ。我々は、近江達の一族からだけ逃げているわけではないのよ。同じような目的で、我々を狩ろうとしている連中は、少なくはないの。」
 有紀子の言葉に、敦は大きな問題に突き当たった。
「おばさん、なんで近江は絢子ちゃんを死んだように見せかけて、今まで生かしてたんだろう?」
 敦は、いままで悩み続けていた疑問を素直に口にしてみた。
「近江の一族は、もともと巫女を狩る一族なの。よその巫女を狩って来ては、子供を生ませて、自分たちの預言者として迎え入れてきたの。なぜか、彼らの一族の中では、力を持った子供が生まれないから。彼らは、他の一族から力を持った巫女を狩ってくる必要があったの。でも、その事に我々が気付いたのは、絢子ちゃんの事件の後で、それだけに、私たちは、美波に拘わってもらいたくなかったの。」
「おばさんは、絢子ちゃんが生きてるかも知れないって、思ってたの?」
 敦は、恐る恐る問いかけた。
「いいえ、彼らの事だから、巫女が言う事を聞かなければ、殺して新たな巫女を狩ると思ってたわ。だから、次に美波が誘拐されるんじゃないかって。そう思ってたから、美波が日本に戻るの反対してたの。」
 有紀子が、絢子を美波の代わりに見殺しにしようとしていたのではないということが、少し敦を安心させた。
「近江が、あの一族の人間だと知っていたら、絢子ちゃんを美波と一緒に逃げさせたわ。婿養子に入っていたのが、盲点だったのよ。」
 有紀子は言うと、しずかに涙をこぼした。
「おばさん、俺は、何があっても美波の味方だよ。だから、元気を出して。」
 敦は言うと、有紀子の手をしっかりと握った。
「ありがとう。敦ちゃん。」
 有紀子は言いながら、涙をぬぐった。
 ちょうどその時、玄関のベルが鳴った。
「俺出るよ。」
 敦は言うと、走って玄関へ向かった。


 玄関のドアーを開けると、見覚えのある刑事が二人立っていた。
「すいません、粟野原(あわのはら)有紀子さんにお話を伺いたいんですが。」
 丁寧に言う刑事を敦は応接間に案内した。
「いま、おばを呼んできます。」
 敦は言うと、二人を残して有紀子を呼びに行った。


 すでに察知していたのか、有紀子は応接間の方に向かって歩いてきていた。
「敦ちゃん、悪いんだけど、お茶をお願い。」
 有紀子は言うと、応接間の中に消えていった。

☆☆☆

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